大判例

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大津地方裁判所 昭和53年(ワ)53号 判決 1987年4月27日

原告

福屋ミヤ

原告

福屋雅則

原告

藤本冨美子

原告

村久木良文

原告ら訴訟代理人弁護士

崎間昌一郎

三浦正毅

昭和五三年(ワ)第五三号事件被告

株式会社間組

右代表者代表取締役

本田茂

右訴訟代理人弁護士

小川善吉

山田賢次郎

上羽光男

奥平力

昭和五三年(ワ)第一三二号事件被告

嶋田善四郎

右訴訟代理人弁護士

松枝述良

主文

一  被告らは、各自、原告福屋雅則及び同藤本冨美子に対し各金九二七万二、二二一円、同村久木良文に対し金三、〇八四万六、八五八円、及び右各金員に対する、被告株式会社間組については昭和五三年四月二一日から、被告嶋田善四郎については同年七月二五日から、それぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告福屋雅則、同藤本冨美子及び同村久木良文のその余の請求、並びに原告福屋ミヤの請求を棄却する。

三  訴訟費用については、原告福屋雅則及び同藤本冨美子と被告らの間に生じた分はこれをそれぞれ五分し、その一を右原告らの、その余を被告らの負担とし、原告村久木良文と被告らの間に生じた分はこれを四分し、その一を原告村久木の、その余を被告らの負担とし、原告福屋ミヤと被告らの間に生じた分は同原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自原告福屋ミヤ(以下「原告ミヤ」という。以下、他の原告及び被告についても同様にいう。)、同福屋雅則及び同藤本冨美子に対し各金一、一〇〇万円、原告村久木良文に対し金四、四〇〇万円、並びに右各金員に対する、被告株式会社間組については昭和五三年四月二一日から、被告嶋田善四郎については同年七月二五日から、それぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者等

(一) 訴外亡福屋正冨(以下「亡福屋」という。)及び原告村久木(以下、両名をあわせて「亡福屋ら」という。)は、いずれも被告嶋田の従業員として、被告嶋田が被告間組から下請として請負っていたトンネル掘削工事に従事していた者であり、原告ミヤは亡福屋の妻、原告雅則及び原告冨美子はその子である(以下「原告ミヤら三名」という。)

(二) 被告間組は、土木建築業を営む会社であり、被告嶋田は、被告間組からトンネル掘削工事を下請していた者であるが、その実質は、もっぱら被告間組の請負った土木工事現場に労働者を供給しているにすぎず、現場においては「間組嶋田班」と称されていた。

2  亡福屋らのじん肺罹患

(一) 亡福屋は、昭和四三年末ごろから肺の具合の悪いことを自覚し、医師の診断を受けるようになり、昭和四四年ごろじん肺初期の診断を受け、昭和四五年春ごろには医師から労働を止められるに至り、被告らの労務係に相談したが、労災あるいはじん肺法所定の手続きがとられないまま就労を継続し、昭和四六年一〇月二一日、呼吸困難の症状が悪化して滋賀病院に入院した。入院時の所見は、X線像上大陰影が認められ、心肺機能は高度の障害、その他のじん肺症状も中程度、肺結核合併であり、昭和四七年五月一八日滋賀労働基準局長から、じん肺管理四の決定を受けた。

(二) 原告村久木は、息切れ、呼吸困難等の自覚症状があって、昭和四九年四月一六日滋賀病院に入院し、治療を受けるところとなり、同年一〇月二二日滋賀労働基準局長から、じん肺管理四の決定を受けた。当時の所見は、X線像四型、心肺機能中程度障害、その他のじん肺症状中程度、肺結核合併であった。

3  じん肺症について

(一) じん肺症は、臨床病理学上「各種の粉じんの吸入によって胸部X線に異常粒状影、線状影があらわれ、進行に伴って肺機能低下をきたし肺性心に至り、剖検すれば、粉じん性線維化巣、気管支炎、肺気腫を認め、血管変化をも伴う肺疾患である」と定義されている。

(二) その発生機序は、人体に吸入された粉じんは、一部が気管支に付着し、痰に混って喀出されるが、肺胞内に達すると喰細胞により間質内に取り込まれ、リンパ腺に蓄積され、これを線維化させて、その本来の機能を失わせる。さらに肺胞内への吸入沈着が続くと、肺胞道や細気管支までが線維増殖性変化をきたし、じん肺結節を形成する。この結節は吸じんとともにさらに増大し、次第に塊状巣となって、気管支、血管を狭窄、閉塞して、呼吸困難の原因となる気管支変化や血管変化を惹起し、肺気腫を生じさせる。このため、肺胞への空気の流通が妨げられたり(換気障害)、肺の血行障害(肺循環障害)が現われ、最終的には心負担の増大による心衰弱(肺性心)による死を招くとされている。また、じん肺症では肺結核が高率に併発し、さらに気管支炎、肺炎、気胸等を続発合併する。

(三) このように、じん肺症は進行性の疾患であり、線維化した部分、肺気腫、血管変化は治療によっても元に戻らず(不可逆性変化)、ただ気管支変化のみが早期の治療に反応するといわれる。その予防のためには、粉じん防止が必要不可欠であり、早期発見・早期治療が必須である。

(四) トンネル工事は、じん肺法に定める「粉じん作業」に該当するところ、他の粉じん作業においては、通常一〇年以上の作業従事でじん肺症が発症するといわれるのに対し、トンネル工事によるじん肺症は、従事一年二か月での発症例をはじめ、より短い暴露期間で有所見率、重症率が高く、その発現、進展、重症化が速いとされている。

4  亡福屋らの粉じん作業歴

(一) 亡福屋の粉じん作業歴は以下のとおりである。

(1) 昭和一四年五月から昭和一六年一一月まで

万田炭坑 採炭夫

(2) 昭和二三年八月から昭和二五年二月まで

日窒水俣水力発電所トンネル工事坑夫

(3) 昭和二六年一〇月から昭和二八年八月まで

九州電力椎葉発電所トンネル工事坑夫

(4) 昭和二九年五月から昭和三一年三月まで

右(2)と同じ

(5) 昭和三二年八月から昭和三五年三月まで

国鉄日南線第一、第二初音酉トンネル工事坑夫(以下、「初音酉の工事」という。)

(6) 昭和三五年四月から昭和三九年一二月まで

東海道新幹線音羽山トンネル工事坑夫(以下、「音羽山の工事」という。)

(7) 昭和四〇年六月から同年一〇月まで

関西電力原子力発電所試掘工事

(8) 昭和四一年八月から昭和四五年一二月まで

国鉄東海道本線新逢坂山トンネル工事(以下、「逢坂山の工事」という。)、同湖西線長等山トンネル工事坑夫(以下、「長等山の工事」という。)

(9) 昭和四六年五月から同年一〇月まで

長等山の工事作業長

右のうち、被告らに所属して行ったものは(5)、(6)、(8)、(9)である。このように亡福屋の粉じん作業歴は約二〇年に及び、そのうち約一二年が被告らに関するものである。

(二) 原告村久木の粉じん作業歴は以下のとおりである。

(1) 昭和三二年一二月から昭和三三年一一月まで

初音酉の工事坑夫

(2) 昭和三三年一二月から昭和三五年四月まで

国鉄日南線トンネル工事坑夫

(3) 昭和三五年五月から昭和三七年四月まで

名神高速道路梶原トンネル工事坑夫(坑夫として従事したのは右のうち約三か月)

(4) 昭和三七年五月から昭和三八年一二月まで

音羽山の工事坑夫

(5) 昭和三九年六月から昭和四〇年五月まで

国鉄中央線トンネル工事坑夫(坑夫として従事したのは右のうち約三か月)

(6) 昭和四〇年一〇月から昭和四三年一二月まで

逢坂山の工事坑夫

(7) 昭和四四年六月から昭和四七年一二月まで

長等山の工事坑夫

右のうち、被告らに所属して行ったものは(1)、(4)、(6)、(7)である。このように原告村久木の粉じん作業歴は約一三年一〇か月に及び、そのうち約八年一か月が被告らに関するものである。

5  被告ら関係工事現場の粉じん発生状況

(一) トンネル工事においては、火薬を充てんするための孔を削岩機で掘削する作業、発破、及びその後のずり出し作業において粉じんが発生するところ、亡福屋らは、以下のとおり、前記の被告らに関係する各工事現場において、いずれも大量の粉じんを吸入した。

(二) 初音酉の工事

ここでは、亡福屋は斧指として従事し、原告村久木は切羽で坑夫として従事した。導坑以外の切羽はいずれも空ぐりであって、給水設備も換気設備もなく、粉じんのため二メートル位しか坑内の視界がきかない程の粉じんが発生した。

(三) 音羽山の工事

ここでは掘削はほとんど空ぐりであり、粉じんのため五〇メートル先が見えないこともあった。一日の作業終了時には、くり粉で帽子も顔も真白になり、服に着いた粉じんをエアホースで取り除いていた。風管の設備はあったが、一つ位で十分な換気作用をもたず、粉じんを切羽から後方の坑内に排出するにすぎず、坑外へ直接排出するものではなかったため、粉じん対策としては不十分で、作業能率を上げるための視界確保の目的はあっても、防じん対策ではなかった。

(四) 逢坂山の工事

ここでは、旧トンネルの改修工事と新トンネル掘削工事があった。前者は、トンネル壁のれんがをピックで落とす作業であって、散水することも、換気することもなく行われたため大量の粉じんが発生した。後者も、給水設備、換気設備なしに行われ、大量の粉じんが発生した。

(五) 長等山の工事

ここでも水ぐりの設備がなく、換気設備も不十分であったため、ひどい時には一メートル先が見えないような粉じんが発生し、そのため作業服は毎日洗濯し、耳や鼻の穴を掃除する状態であった。

(六) 以上のとおり、亡福屋らは、右各工事の現場において、いずれも大量の粉じんを吸入した。

6  因果関係

(一) 亡福屋らは、それぞれの粉じん作業歴のすべてが被告ら関係工事に限定されている訳ではないが、以下の理由により、亡福屋らに生じた損害の全部について、被告ら関係工事における粉じん作業と因果関係がある。

(二) 前記のとおり、亡福屋については、全粉じん作業歴二〇年九か月中一二年五か月、原告村久木については全粉じん作業歴一三年一〇か月中八年一か月が被告ら関係工事であり、いずれも粉じん作業歴の半分以上を占めている。

(三) 前記のとおり、トンネル工事におけるじん肺症の発生は、必ずしも一〇年以上の粉じん暴露を必要とせず、極めて短期の暴露による症例もあることからすれば、亡福屋の一二年五か月は勿論のこと、原告村久木の八年一か月も、それのみでじん肺症を発症させるに十分な期間である。

(四) 亡福屋らの粉じん作業の最終職場は、被告らにかかる工事であり、かつ、その就労中にじん肺症が発症している。

(五) 被告らは、亡福屋らを雇い入れるにあたって、亡福屋らが他の粉じん作業に従事していたことを知っていたが、調査すれば知り得た立場にありながら、それを問題とせずに雇い入れ、かつ、雇い入れの際に健康調査をしていないから、その雇い入れ後に発症したじん肺症については全損害を賠償する責任を負わされてもやむを得ない立場にある。

7  責任原因(その一・安全配慮義務違反)

(一) 安全配慮義務の存在

(1) 被告嶋田関係

雇用契約の下においては、通常の場合、労働者は使用者の指定した労務供給場所に配置され、使用者の提供した設備、機械、器具等を用いて労務供給を行うものであるから、信義則上、右設備等から生ずる危険が労働者に及ばないよう労働者の安全に配慮する義務も、雇用契約に含まれる使用者の義務である。被告嶋田と亡福屋らは、直接の雇用契約関係にあったのであるから、使用者たる被告嶋田は、亡福屋らに対し安全配慮義務を負っていたものである。

(2) 被告間組関係

被告間組は、亡福屋らに対し、前記各被告ら関係工事の現場において、被告嶋田の従業員である亡福屋らに対しても、自らの使用人と同視しうる程度の支配力を有していた。すなわち、

(イ) 被告嶋田は、被告間組が請負っていたトンネル掘削工事を継続的に下請受注してきた専属下請業者であり、工事現場では「間組嶋田班」と称されていた。

(ロ) 各作業現場においては、削岩機からヘルメットに至るすべての機械、工具等は被告間組から貸与されたものであり、下請業者の作業指揮、命令は、被告間組の現場管理者によりなされ、その権限は、被告間組に属するものと考えられていた。

(ハ) また、労働安全管理の面でも、被告間組の現場所長が定期的に現場を巡視して指示をしたり、被告嶋田の従業員をも集めて労働安全等の注意をなす朝礼を催し、あるいは、被告間組現場管理者主催の安全会議に被告嶋田の管理者が招集されていた。現場においても、安全管理施設、器具たる風管、給水パイプ、防じんマスク等はすべて被告間組が手配していた。

従って、

(a) 被告ら間の請負契約における被告嶋田の従業員を第三者とする第三者のためにする契約上の債務として、

(b) 被告嶋田の亡福屋らに対する雇用契約上の安全配慮義務の重畳的債務引受として、

(c) 被告間組と亡福屋らの間における、形式上は別にして、実質上存在する雇用契約と同視しうる契約関係にもとづく債として、

(d) あるいは、ある法律関係にもとづいて特別な社会的関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方が相手方に対し信義則上負う義務として、

安全配慮義務を負っていた。

(二) 予見可能性

もともとじん肺は、既に江戸時代から、鉱夫の間で「よろけ」と呼ばれて恐れられており、昭和五年には鉱夫のけい肺が業務上の疾病と扱われるようになり、昭和一一年には工場におけるけい肺も業務上の疾病と扱われるようになった。昭和二四年には患者の管理措置基準が決まり、昭和二五年には防じんマスクの国家検定制度が実施され、さらに、いくつかの保護立法を経て、昭和三五年にじん肺法が制定された。ここでは、使用者及び粉じん作業従事労働者の責務として、粉じんの飛散の防止及び抑制、保護具の使用その他について適切な措置を講ずるよう努めることが、使用者の義務として、じん肺の予防と健康管理のために必要な教育を行う義務が定められた。また、労働安全衛生法の下位規範である粉じん障害防止規則では、事業者の責務として、「設備、作業工程又は作業方法の改善、作業環境の整備等の必要な措置を講ずること、健康障害の防止のため、健診の実施、就業場所の変更、作業転換、作業時間の短縮等の適切な措置を講ずること」が定められた。

他方、粉じん作業の中でも、トンネル工事によるじん肺については、その病状の進行が早く、重症化し、危険であることが、昭和一三年以来、医学文献、公の報告書等でつとに指摘されていた。

以上からして、被告らにおいて、亡福屋らのじん肺発症についての予見可能性があったというべきである。

(三) 安全配慮義務の具体的内容

(1) 右によれば、被告らは、亡福屋らをトンネル掘削作業に従事させるにあたり、可能な限り粉じんの発生、拡散を防止し、発生した粉じんを除去するための措置を講ずること、また、作業手順や作業方法の改善、労働時間の短縮等、従業員の粉じん暴露の程度を軽減し、発生した粉じんの吸入を防止するための措置を講ずること、従業員各自のじん肺防止や健康管理に対する意識、行動をかん養するため、じん肺の発症原因、じん肺に罹患した場合の症状、じん肺が進行性、不可逆性で治療困難であることを踏まえた安全教育及び安全指導を実施すること、さらには、定期的に健康診断を実施するとともに、その結果にもとづいて従業員の健康管理上必要な措置をとることの各義務があったものというべきである。

(2) これを亡福屋らについて具体的にみると、

(イ) 給水設備の不完全

削岩機による掘削作業については、水ぐりあるいは散水による防じん対策を講ずべきところ、被告ら関係工事現場では、そのための給水設備が不完全であった。

(ロ) 風管設備の不完全

切羽においては、防じん設備としての風管の設備をなすべきところ、被告ら関係工事現場における風管の設備は不完全であり、坑内の切羽から粉じんを坑外に排出するのでなく、後方の坑内に追いやる方式であったり、吸入式であっても、作業現場を通過して粉じんを排出するというものにすぎず、作業員を粉じんから完全に隔離しうるものではなかった。また、設けられていたファンがどの程度稼働していたかも不明である。

(ハ) 防じんマスク支給の不備

被告ら関係工事の現場において、作業員への防じんマスクの支給は徹底していなかったし、支給された防じんマスクは、二、三回の掘削で粉じんにより詰って使用できなくなるものであって、交換用のマスクあるいはスポンジの支給がなされなければならないにもかかわらず、これがなされていなかった。

(ニ) 粉じん暴露時間短縮の不配慮

被告ら関係工事現場では、二交代ないし三交代の労働時間制が行われていたが、二交代であれば一二時間坑内作業に従事することとなり、その間、食事も坑内でとるという状態であって、そこには作業進行の面からする労働時間への配慮はあっても、粉じん暴露時間を制限しようとする配慮はなかった。

(ホ) 健康管理の不完全

被告ら関係工事現場においては、完全なじん肺健康診断はなされていなかった。これを完全に実施していたならば、亡福屋らは最初から管理区分四に認定されるのではなく、それ以前の経過があったと考えられるし、亡福屋らが自ら認定の申請をしなくても、じん肺患者として把握されていたと思われる。

(ヘ) じん肺教育の不実施

水ぐりの実行や防じんマスクの着用が実際に励行されるためには、労働者に対し、じん肺教育を十分になし、粉じんの健康への害を十分熟知させ、予防以外の対応がないことを知らしめて、労働者の自覚を促す必要があり、この意味において、じん肺教育は極めて重要なじん肺予防策である。しかるに被告らにおいて、これは一切なされていない。

8  責任原因(その二・不法行為責任)

仮に、被告間組に関し、右債務不履行責任が認められないとしても、被告間組には、不法行為法上も前記安全配慮義務と同様の注意義務があるところ、被告間組は前記のように右注意義務を怠り、漫然と亡福屋らを被告ら関係工事現場における粉じん作業に従事させたのであるから、この被告間組の行為は不法行為に該る。よって、被告間組は、右不法行為によって生じた亡福屋らの損害を賠償する義務がある。

9  損害(その一・亡福屋関係)

(一) 亡福屋は、生来頑健であり、じん肺に罹患するまでは、病気らしい病気をしたこともなかったが、昭和四四年ごろから、じん肺の自覚症状を覚えるようになり、昭和四六年一〇月以降、療養生活を送るようになった。当時、既に左肺上部に空洞を伴い左肺のほぼ三分の一を占める大陰影があり、右肺にも相当量の大陰影があった。昭和四七年になると歩行時心悸昂進、咳嗽、喀痰、胸痛、脈拍異常、呼吸異常の所見があり、重症の肺結核を合併して心肺機能は著しく低下した。昭和五一年ごろには、肺結核は好転したものの、じん肺は著明に悪化し、軽度の労作によっても高度の呼吸不全をきたすような状況となった。昭和五二年に至り、肺胞破裂によって巨大な肺胞のうが多数出現し、肺気腫が進行増強し、同年五月一五日、慢性呼吸不全の急性増悪及び肺性心により死亡した。

(二) このように、亡福屋は、じん肺症によって不可逆的な身体的被害を受け、入院以来死亡に至るまで約五年七か月にわたって、ほぼ寝たきりの生活を余儀なくされ、激しい咳や呼吸困難に苦しんだ。これらの精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料は金三、〇〇〇万円を下ることはない。

(三) また、亡福屋は、じん肺症に罹患しなければ満六八才まで稼働することができたものであるが、遅くともじん肺症の症状を確認された昭和四七年四月四日以降、その労働能力を一〇〇パーセント喪失した。亡福屋の最終の職種は大世話役であるが、これは掘削の仕事に比べ賃金が大幅に低下しているので、当時の収入を基礎に逸失利益を計算するのは妥当でなく、少なくとも男子労働者の年令別平均賃金を下回らない収入を得ることができたというべきである。これによれば、亡福屋が、昭和四七年四月四日から昭和五九年一二月末日までの間に得たであろう賃金額は、別表(略)1中亡福屋欄に記載のとおりであり、これを昭和四七年四月四日ごろ症状が固定したものとして、新ホフマン係数により中間利息を控除すると、別表2<1>小計のとおり、亡福屋の昭和五九年一二月三一日までの逸失利益は、二、二九八万九、五八四円となる。さらに、昭和六〇年一月一日以降、亡福屋が六八才に達する昭和六四年一二月末日までの間の得べかりし賃金額は、昭和五九年に得られたであろう収入額二一六万二、九三〇円をもとにして計算すると、別表2<2>小計のとおりとなる。従って、亡福屋の逸失利益は同表合計欄記載のとおり二、七八六万六、九四九円となる。

(四) 亡福屋は、生前、労災休業保障給付、労災休業保険年金、厚生年金を合わせて合計七九七万六、八九四円の支払いを受けており、右逸失利益の一部の填補を受けている。よって、未填補の逸失利益は一、九八九万〇、〇五五円となる。

(五) 亡福屋の死亡により、原告ミヤら三名は、それぞれ法定相続分に応じて各三分の一の割合で右損害賠償請求権を相続した。

(六) 原告ミヤら三名は、本訴の提起にあたって弁護士を依頼し、その報酬として各自一〇〇万円を支払うことを約したが、これも被告らの行為と相当因果関係にある損害である。

(七) よって、原告ミヤら三名は、被告らに対し、各自一、七六三万〇、〇一八円の損害賠償請求権を有するところ、原告ミヤは、昭和五九年一〇月末日までに遺族補償年金及び厚生年金として合計一、三九四万八、〇六五円の給付を受けているので、右のうち慰謝料及び弁護士費用相当分一、一〇〇万円を、原告雅則及び同冨美子は右の内金一、一〇〇万円を、それぞれ本訴において請求する。

10  損害(その二・原告村久木関係)

(一) 原告村久木は、生来健康に恵まれ、仕事現場でけがをした以外は、じん肺に罹患するまで病気らしい病気はしたことがなく、妻子合わせて五人家族の生活を支えてきた。同原告は、昭和四七年ごろ、作業中に息苦しさを覚えたことから、じん肺ではないかとの疑いを持ちつつ、同年一二月までトンネル内の粉じん作業に従事してきた。その後、粉じん作業からは離れたものの、昭和四九年四月に体の異常を覚え、同月一六日から滋賀病院に入院した。当時、左肺中ほどにB型の大陰影が認められ、呼吸困難、咳嗽、喀痰の自覚症状があり、肺結核を合併、心肺機能も著しく低下していた。昭和五一年八月には、呼吸機能障害により身体障害者等級表の一級に認定され、昭和五六年には障害補償年金の廃疾等級二級に認定された。現在、重度の呼吸困難、刺激性咳嗽、喀痰、心悸高進、胸部全体に副雑音等があり、肺活量も予測値の半分に低下している状態で、なお症状は悪化しつつあって、その症状を医師が本人に伝えられない程重篤な状態となっている。同原告は、週二回の通院治療の他、気管支炎で入院を繰り返しており、起床後一時間程は厳しい咳と痰に苦しめられ、呼吸困難の発作を起し、平坦な道路を五〇ないし一〇〇メートル歩けば呼吸が苦しくなる状態で、ごく軽い趣味的労作すら一時間も続けられず、身の回りのことがかろうじてできる程度の、寝たり起きたりの生活である。

(二) 右のように、じん肺罹患により原告村久木の受けている不可逆的な身体的被害、肉体的苦痛、精神的苦痛は甚大であり、さらには、同原告の家族に与えた肉体的、精神的、経済的被害を合わせ考えると、これに対する慰謝料は、少なくとも二、〇〇〇万円を下回ることはない。

(三) また原告村久木は、じん肺症に罹患しなければ満六八才まで稼働することができたものであるが、遅くともじん肺症の症状を確認された昭和四九年四月一六日以降、その労働能力を一〇〇パーセント喪失した。当時の原告村久木の仕事は、近江大橋工事の資材運搬船の運転であり、また、長等山の工事の最後の昭和四七年一二月ごろの職種は、バッテリーカーの運転手であって、いずれも掘削の仕事に比べ賃金が大幅に低下しているので、これらの賃金を基礎に逸失利益を計算するのは妥当でなく、少なくとも男子労働者の年令別平均賃金を下回らない収入を得ることができたというべきである。これによれば、原告村久木が昭和四九年四月一六日から昭和五九年一二月末日までの間に得たであろう賃金額は、別表1中原告村久木の欄に記載のとおりであり、これを昭和四九年四月一六日ごろ症状が固定したものとして新ホフマン係数により中間利息を控除すると、別表3<1>小計のとおり、原告村久木の昭和五九年一二月三一日までの逸失利益は、三、〇八〇万四、三四八円となる。さらに、昭和六〇年一月一日以降、原告村久木が六八才に達する昭和七〇年一二月末日までの逸失利益は、昭和五九年に得られたであろう収入額四〇三万三、九〇〇円をもとにして計算すると、別表3<2>小計のとおりとなる。従って、原告村久木の逸失利益は同表合計欄記載のとおり五、三〇四万三、二三八円となる。

(四) 原告村久木は、昭和四九年四月一六日から昭和五九年一二月末日までの間に、休業補償給付、休業保障年金をあわせて合計二、一〇八万七、七三二円の給付を受けており、右逸失利益の一部の填補を受けている。よって、未填補の逸失利益は、三、一九五万五、五〇六円となる。

(五) 原告村久木は、本訴の提起にあたって弁護士を依頼し、その報酬として四〇〇万円を支払うことを約した。

(六) よって、原告村久木は、被告らに対し、五、五九五万五、五〇六円の損害賠償請求権を有するところ、内金四、四〇〇万円を本訴において請求する。

よって、原告らは、被告らに対し、それぞれ債務不履行または不法行為による損害賠償請求権にもとづき、原告ミヤ、同雅則及び同冨美子については各金一、一〇〇万円、原告村久木については金四、四〇〇万円の損害賠償金、及び、これらの各金員に対する本訴状送達の翌日である被告間組については昭和五三年四月二一日から、被告嶋田については同年七月二五日からそれぞれ支払いずみまで民法所定の各年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は認める。同(二)の事実のうち、被告間組が土木建築業を営む会社であること、及び、被告嶋田が現場において「間組嶋田班」と称されていたことは認めるが、その余は否認する。被告間組は、被告嶋田に対し、トンネル掘削作業を発注し、被告嶋田は、その雇傭作業員をもって嶋田班を編成し、工事を請負い施工していた。

2  請求原因2の事実のうち、亡福屋らが、それぞれ原告ら主張のとおり滋賀病院に入院したこと、及び、管理区分四の決定をうけたことは、いずれも認める。

3  請求原因3の事実のうち、じん肺症が、粉じんの吸入によって生ずる進行性、慢性型の疾患であること、肺胞に沈着した粉じんが肺組織の線維化をもたらして肺機能低下をもたらすものであることは認める。被告間組の主張の詳細は後記「被告の主張1」のとおりである。

4(一)  請求原因4(一)の事実については、亡福屋が、原告ら主張のとおりの各工事に従事したことは認め、その期間について、請求原因4(一)の(1)ないし(4)は認めるが、その余は争う。坑夫として掘削作業に従事したのは、初音酉の工事については、昭和三二年八月から昭和三四年一月の一年六か月、音羽山の工事については、昭和三六年六月から昭和三八年一〇月の二年五か月、逢坂山の工事については、昭和四一年八月から昭和四三年三月の一年八か月、長等山の工事については、昭和四三年四月から昭和四五年四月までの二年一か月である。長等山の工事では、その後、昭和四六年五月ごろまでは坑外のコンプレッサー番、その後、同年一〇月までは作業長として一日二時間程度入坑するだけであった。右(7)の工事は、昭和三九年六月から同年一〇月までである。

(二)  同(二)の事実については、同原告が、主張のとおりの各工事に従事したことは認めるが、同原告は、その他に、昭和四八年二月から昭和四九年二月まで近江大橋建設工事に従事しており、これも粉じん作業に含めるべきである。

5  請求原因5(一)の事実のうち、トンネル工事の工程中、削孔、発破、ずり出しの各作業において粉じんが発生することは認めるが、その余の事実は否認する。同(二)ないし(五)の各事実はすべて否認する。

6  請求原因6の、亡福屋らが被告ら関係工事に従事したこととじん肺症に罹患したことの因果関係は否認する。仮にこれがあるとしても、後記「被告間組の主張1(四)」のとおり、亡福屋らは、被告ら関係工事以外の粉じん作業にも従事していたのであるから、これらの作業による寄与を考慮すべきである。

7(一)  請求原因7(一)(2)の事実のうち、亡福屋らが、被告間組の請負った各工事現場で就労していたこと、削岩機等設備の一部が被告間組から貸与されていたこと、被告間組の現場管理者から作業指揮がなされていたこと、被告間組の現場所長が定期的に巡視して安全上の注意を与えていたこと、被告間組現場管理者が主催して安全会議を行っていたことの各事実は認めるが、その余の事実は否認、もしくは争う。

(二)  同(二)の事実のうち、じん肺のうちのけい肺が、古くから鉱夫の間で「よろけ」と称せられていたこと、及び、昭和三五年にじん肺法が成立したことは認める。

(三)  同(三)の事実のうち、トンネル工事における粉じん発生の対策として、水ぐり、散水、換気、防じんマスクの着用があることは認めるが、被告らの負う義務内容を争う。また、被告らが右のような対策をとっていなかった旨の主張も争う。被告らは、後記「被告間組の主張4」のとおり、十分な対策を講じていた。

8  請求原因8の主張については、原告ら主張の安全配慮義務の内容を争い、その注意義務を怠ったことは否認する。

9  請求原因9の事実のうち、原告ミヤら三名が亡福屋の相続人であることは認めるが、その余は不知あるいは争う。

三  被告間組の主張

1  因果関係

(一) じん肺症には、粉じんの種類により、けい肺、鉄粉肺、炭肺、石肺等があるが、亡福屋らは、その作業歴からみて、けい酸を含有する粉じんを吸入して発症するけい肺であろうと思われる。

(二) ところで、けい肺には、遊離けい酸を高率に含有する粉じんに起因する典型けい肺、比較的低濃度の遊離けい酸を含有する粉じんに起因する非典型けい肺、超大量の粉じんを吸入した場合に起る急進性けい肺がある。このうち、典型けい肺は、一〇年以上の吸じんで二〇年以上経過して肺に粉じん性塊状巣が生じるといわれ、非典型けい肺では、病巣の発生は三〇年以上とされており、急進性けい肺では、一年ないし一〇年以内とされている。従って、急進性けい肺は別にして、三〇年ないし四〇年前の吸じんも、じん肺症の発症に関係することになる。

(三) このように、じん肺症は、長期間、大量の粉じんを吸入することによって徐々に進行し、発症する疾患であるから、特定の作業における粉じんの吸入とじん肺症の発症との因果関係は、その特定の作業における吸じんが、じん肺症罹患の「原因」となっているかを検討しなければならない。

(四) 亡福屋らが、被告ら関係工事現場で作業に従事した期間は、いずれも一年ないし三年で、長期間に及ぶものではないし、これらの現場における粉じんの発生は小さく、また、被告らにおいて十分な防じん対策を講じていたから、亡福屋らが被告ら関係工事の現場でトンネル工事に従事したことと、亡福屋らのじん肺症発症との間に因果関係はないというべきである。

(五) 仮に、亡福屋らが、トンネル工事の性質上、不可避的に生ずる粉じんを吸入したとしても、亡福屋らは、原告らが主張するとおり、長期間にわたって他の粉じん作業に従事していたのであるから、被告ら関係工事の現場における吸じんのみが、亡福屋らのじん肺症発症の原因となっているものではなく、これと、他の作業現場での吸じんが競合し、複合して、それぞれ寄与しながら亡福屋らのじん肺症発症の原因となったものである。そして、亡福屋らは、自らの意思にもとづいて、被告ら関係工事以外の現場に就労していたのであるから、被告ら関係工事の現場における吸じんにのみその原因を求め、被告らにすべての責任を負わせるのは、公平の見地から妥当でなく、過失相殺ないし損益相殺の法理の類推適用により、その寄与度による因果関係の割合を認定すべきである。

2  じん肺に対する法的措置について

(一) じん肺症は古くから知られた職業病であり、事業者、労働者、行政それぞれの立場から、共通の課題としてその対策が検討されてきた。

(二) 昭和二三年より、労働省けい肺対策協議会、金属鉱山復興会議等で対策の検討がなされ、昭和二八年には、社会党有志議員により、けい肺法案が国会に提案されるに至ったが、この頃は、けい肺の特殊性と重大性から、これを国家的問題として取上げる必要があるが、科学的に未解決な部分があり、また、完全な予防方法及び治療方法がないという認識であった。

(三) 昭和二九年一〇月、けい肺対策審議会が「けい肺対策上の問題点に関する中間報告」を労働大臣に提出し、その中で、予防関係として、粉じん量減少のための有効適切な方法、粉じん吸入防止のための適当な保護具とその使用基準、健康管理等の問題点について触れている。

(四) 昭和三〇年四月には、政府が「けい肺等の特別保護に関する法律案要綱」を決定、ここで、政府自らがけい肺健康診断を行い、使用者及び労働者に、その施行と受診の義務を負わせる他、初めて「粉じん作業」、「けい肺健康診断を要する粉じん作業」が定義され、トンネル工事もそれに加えられた。この要綱は、けい肺対策審議会への諮問と答申を経て、「けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法」(以下「けい肺等特別保護法」という。)として国会で可決成立し、昭和三〇年九月一日から施行された。同法の内容は、健康診断、作業転換、療養及び休業給付の保障が中心であって、予防について特別の規定はなかったが、これは、けい肺の特異性から、当時では確実な予防方法がなかったからである。

(五) その後、労働大臣から、右法律の改正をけい肺審議会に諮問し、「じん肺法」が昭和三五年三月に可決成立した。その内容は、対象をけい肺からじん肺全体に拡大し、じん肺に関し、適正な予防及び健康管理その他福祉の増進に寄与することを目的とし、じん肺及び粉じん作業等の定義を定める他、使用者の義務として、じん肺教育及び健康診断を、使用者、労働者双方の義務として、じん肺の予防措置を、政府の義務として、じん肺に関する技術的援助をそれぞれ定めた。

(六) 昭和四九年に至り、予防、健康管理、補償の各方面での社会的水準の向上に即したじん肺法改正の動きが高まり、じん肺審議会からの意見書の提出等を経て、昭和五二年七月一日に、現行じん肺法及び労働安全衛生法が公布された。現行じん肺法は、事業者及び労働者の義務として、じん肺の予防に関し、労働安全衛生法等の規定によるほか、粉じん発散の防止及び抑制、保護具の使用その他について適切な措置を講ずるよう努めなければならないと規定し、労働安全衛生法は、事業者において健康障害の防止に必要な措置を講ずべき義務及び健康診断を実施すべき義務と、労働者において事業者の講ずる措置に応じて必要な事項を遵守すべき義務及び健康診断の受診義務を定めている。これを受けて、労働安全衛生法施行規則及び粉じん障害防止規則が制定され、これらによって、注水その他の発じん防止の措置、換気、保護具の備付及び着用の義務等が具体的に定められた。

(七) このように、じん肺に対する法的措置の経過においては、当初はもっぱら補償に重点が置かれており、粉じん発生の対策は、換気、給水、保護具等について建議や検討がなされたものの、昭和五四年四月の粉じん障害防止規則の制定によって、初めて具体的な法的規制がなされたものである。これは、坑内における防じん対策が非常に困難であること、及び、防じん対策は、使用者の行う対策だけではこれを有効になしえないことを意味し、坑内作業の防じん対策の特異性を示している。そして、右のように、労働者に使用者の行う防じん対策遵守義務のあることからすれば、坑内作業における使用者の安全配慮義務の履行については、労働者に法律上の受領義務があるというべきである。

3  トンネル工事における安全配慮義務とその内容

(一) トンネル掘削工事について

(1) 被告ら関係工事は、いずれも、鉄道を通すために、山腹を掘削して所要の大きさの空洞を貫通させ、その周壁にコンクリートを打設して、使用目的に適合した安全かつ耐久的なトンネルを構築する工事である。このうち、所要の大きさの空洞を掘る工程を掘削作業といい、掘削、ずり出し、支保工組立の一連の作業からなる。こうしてできた支保工によって支えられた空洞の周壁にコンクリートを打設することを覆工といい、これによってトンネルが完成する。鉄道用トンネルには、単線型、複線型、新幹線型等があり、それぞれ一定の大きさを有している。

(2) トンネル掘削の工法には、<1>底設導坑先進工法、<2>上部半断面工法、<3>全断面工法等があり、<1>は、地質が軟弱で変化の激しい場合、不時の出水の恐れのある場合に適した工法であり、被告ら関係工事でも採用されている。<2><3>は、より地質が安定している場合に採用される工法である。

(3) 底設導坑先進工法では、まず底幅三ないし三・五メートル、高さ二・五ないし三メートルの導坑を掘削し、次いで上部半断面(「上半」と略す。以下、掘削部位の名称と位置は別紙図面のとおり。)の掘削に移るが、土質が硬い場合には、上半全部を一度に掘削する底設導坑先進上部半断面工法がとられる。地山が軟弱でアーチ部分が崩壊する恐れのある場合には、中割、頂設を先に掘削して支保工で支え、あるいは中割を掘削して支保工を入れ、次いで頂設を掘削して支保工で支えた後、丸型を切り拡げる工法(特に後者を中背普請といい、トンネル工事で最も技術を要するとされる。)が採用される。また、上半の切羽が自立せず、手前に倒れる恐れのある場合には、中割を残して丸型を細く切り拡げ、上半部分を鋼鉄製支保工で固めてから、中割を切り崩すリングカット工法が採られる。

上半部を掘削して履工がなされると、次に土平の掘削に移るが、これは、九ないし一二メートル間隔で抜き掘りして、そこにコンクリートを打設し、天井部のコンクリートを支え(足付け)たうえで残部を掘削し、これにより全面の掘削が完了する。

(4) 被告ら関係工事のような山丘トンネルにあっては、その地質を予め完全に把握することは困難であり、従って、事前に確定的な作業工程を決定することも困難であって、作業過程において、地山の状況により、その都度、作業方法、工程を変更して対応しなければならない。

(二) トンネル掘削工事と粉じんの発生

(1) トンネル掘削工事の工程中、削孔、発破、ずり出しの各工程において粉じんが発生するが、これは堅い岩石や乾燥した土石を掘削する場合には、不可避的に生ずる現象であり、その対策は、湿式削岩機の使用(水ぐり)、散水、換気、防じんマスクの着用である。

(2) しかし、削岩機を使用して掘削する個所でも、水分を含んだ岩石や湿潤な土石の状況では、水分の影響で粉じんは発生しない。地山の軟弱な個所では、普通、削岩機を使用しないが、仮にこれを使用しても、発破に用いる火薬の量が少ないため、これに伴う粉じんの発生はないか、発生してもごく微量である。

(3) さらに地山の地質が軟弱で開放面や切羽の断面が自立せず、崩壊の危険のあるときは、中背普請等の工法が採用されるが、このような場合には、発破を必要としないから、削孔の必要もなく、これに伴う粉じんも発生しない。この場合でも、地山の土石が崩れる時や崩れた土石を運搬車に積み込む時に、本来土石に含まれていた土石の粉が浮遊するが、これは発破によって発生する粉じんとは量的にも質的にも大きく違っており、しかも、土石に含まれる水分のためこれが浮遊することも少ない。

(三) 粉じん対策実行の困難性

被告ら関係工事のような、山丘トンネル工事は、同じ掘削でも、坑外作業、あるいは坑内作業の中の炭坑や鉱山とは著しく異なり、予定ルートに沿って、地山の状況にかかわらず掘削しなければならないので、前記のように、予め対象物である岩石の状況を把握することが困難であるため、事前に、地山の状況による粉じんの発生の程度の違いに対応した粉じん対策を計画し、実行することもまた困難である。

(四) 坑夫の特異性

(1) 亡福屋ら坑夫は、トンネル掘削工事の専門家であるため、被告間組との関係は、通常いわれる下請業者の従業員というものではなく、特異な関係である。従って、そこにおける安全配慮義務の内容も、その実態に即したものでなければならない。

(2) 前記のように、トンネル工事は、地山の状況によって作業方法や手順が著しく影響されるが、これを事前に予測することが困難であるから、現実の掘削によりあらわれる地山の状況を即時に判断し、その状況に適合した作業方法を選んで作業を行わなければならないという特異性を有する。そして、その判断、選択の能力は、長年のトンネル作業の経験によって修得し、あるいは、経験にもとづく勘の働きによって発揮されるものであり、それをなし得る者が、トンネル工事を専門的に行う坑夫と称される技術者である。

(3) 被告ら関係工事は、いずれも被告間組が、企業者である国鉄から請負ったものであるが、トンネル工事の特異性ゆえに、その専門家をかかえる被告嶋田に下請け施工させた。被告嶋田は、被告間組から工事を受注すると、かねてのルートで必要な坑夫らを雇用し、これを世話役、大世話役の下に組織する。これらの者は、すべて被告嶋田が雇用しており、被告間組との間に雇用関係はない。

(4) ところで、トンネル工事は、坑内作業の性質上、常に落盤、崩壊、破水等の危険が伴っているため、坑夫らは一致団結して作業に取組まねばならない。坑夫らは、七名ないし一〇名位でグループを組み、世話役と称するその道の専門家がその中心にあって、仕事の段取りをしたり、坑夫らを指揮、監督する。さらに、このいくつかのグループを統括し、指揮、監督する者として大世話役が置かれる。ここで、あるグループの担当する現場は、当該グループ自体が責任をもって施工する。すなわち、世話役や坑夫が、自信と責任をもって作業を遂行し、具体的作業の場面では、他のグループは勿論のこと、被告間組の職員でさえ介入できないことになっている。

(5) 被告間組の現場職員は、被告嶋田やその下の大世話役に対して作業を指示する。被告嶋田らは、トンネル工事の熟練者であり、専門家であるから、被告間組職員の具体的な指示がなくても、掘削等の作業をすることができる。坑夫に対しては、被告嶋田や大世話役、世話役が指揮、監督するから、普段は、被告間組の職員が直接指揮、監督することはない。坑夫らは、トンネル工事の特殊な技術者としてプライドを有しているから、被告間組職員が、これを直接指揮、監督すると、かえって拒絶反応が生じ、工事がスムーズに進行しないことになる。

(6) このように、坑夫らは、被告間組が管理する施設内(坑内)で就労するが、被告間組の直接の指揮、監督は受けていない。被告間組の指揮、監督は、被告嶋田らを通じて間接的に行われ、しかも、その程度は極めて弱いものである。

(7) また、被告嶋田と坑夫らの雇用関係についても、被告嶋田は、工事を請負う都度、現場単位で坑夫らを雇用し、作業が終了すると共に雇用関係も消滅するものであり、かつ、その期間中であっても、坑夫側の自由な意思で、何時でもやめることができるという薄いものにすぎない。従って、被告間組と坑夫の間の関係は、なおさら薄いものであって、被告間組が、直接坑夫に対して、安全配慮義務の履行の受領について、適切な指示をすることは極めて困難であった。

(五) 以上によれば、被告間組が、坑夫らに対して、原告ら主張のような安全配慮義務を負うとしても、そのうち、湿式削岩機の使用、給水、換気、防じんマスクの着用等、坑夫らの協力あるいは受領行為を必要とするものについては、被告間組は、その設備をなし、あるいは器具を支給し、その使用及び必要性を大世話役、世話役に指示すれば足り、直接坑夫に対してまで、指示、指導、監督する必要はないというべきである。これらは、坑夫自ら、あるいは前記の坑夫らのグループの判断と責任において行うべきことである。

(六) また、安全教育、安全指導についても、坑夫らは、じん肺、けい肺という名称は知らなくても、「よろけ」という言葉は誰でも知っており、それがトンネル作業で粉じんを吸入することに原因することも知っていたことであるから、これは「知られた危険」である。従って、被告間組は、坑夫らに対し、粉じん吸入の害をあらためて教育、指導する義務はない。

4  被告間組における安全配慮義務の履行

被告間組は、以下のとおり、粉じん対策のための設備の設置、器具の支給及びその使用の指示について、いずれもこれを行っている。

(一) 湿式削岩機の使用

被告間組は、被告ら関係工事の現場において、いずれも湿式削岩機を使用しており、かつ、これに注水するのに用いるウォーターチューブも購入支給していた。

(二) 水の供給

湿式削岩機に必要な水は、いずれの現場でも、近くの川から導水して、坑口上方に設けた貯水槽に貯め、その落差によって生ずる圧力で坑内に供給していた。坑内では、導坑内に給水管を導坑の切羽の手前二〇メートル位まで配管し、導坑の切羽はその先端に、上半の切羽は給水管の継目に接続してある短管の先端に、それぞれホースを継いで、その先に分配器を継ぎ、さらにそこから細いホースで削岩機に給水していた。給水管は、導坑の掘削が五メートル位までは坑口まで、その後、掘削が進むにつれて導坑内に配管していったが、上半の掘削が終わり、土平の掘削が始まると、給水管は、アーチの完成した上半の床の部分に持ち上げられる。なお、初音酉の工事では、導坑は給水管でなく、ウォータータンクを持込んで給水していたが、上半は、コンクリートミキサーまで来ている給水管をさらに三〇〇メートル位延長して給水していた。

(三) 風管の設置

被告間組は、いずれの現場でも風管を設置して十分な換気を行った。すなわち、

(1) 初音酉の工事では、地山に含まれていたメタンガスの発火があり、風管を設置して十分な換気を行った。さらに、これに加えて、粉じん対策としてビニール風管を設置した。

(2) 音羽山の工事でも、鋼製風管四〇〇メートル、ビニール風管一、三六〇メートルを斜坑及び本坑に使用して換気し、また、これに必要な送風機も購入している。

(3) 逢坂山の工事では、掘削していた新トンネルと平行して休止線のトンネルがあり、その間を作業坑や連絡坑で連結しており、これらを通じて空気の流通による換気があった他、導坑に六〇〇ミリメートルのビニール風管を八〇メートル設置して換気した。

(4) 長等山の工事でも、十分な量の風管を設置して換気し、換気塔も設置していた。

(四) 防じんマスクの支給

被告間組は、いずれの現場においても、坑夫の数に応じて十分な量の防じんマスク及び取替用フィルターを支給していた。これらは、被告間組が購入し、これを被告嶋田に渡して、被告嶋田から坑夫に渡す方法により支給していた。

(五) 健康診断

被告間組は、年二回、現場に直接、間接のレントゲンの設備のある検診車を出張させて健康診断を実施していた。その趣旨は、被告間組の労務係が、事前に被告嶋田に通知したり、従業員食堂に告示したりしていた。

5  消滅時効

(一) 安全配慮義務は、雇用契約に付随する義務であり、その履行は、雇用契約の継続期間中に請求することができたものであるから、それに代わる損害賠償請求権の消滅時効は、本来の債務である安全配慮義務の履行請求をなしうる最後の時点である雇用契約の終了時から進行し、その時効期間は一〇年である。

(二) 原告らは、昭和五三年三月三一日に本訴を提起したから、昭和四三年三月三一日以前に発生した債務不履行による損害賠償請求権は、時効により消滅している。従って、亡福屋については、昭和三五年三月に雇用関係が終了した初音酉の工事、及び、昭和三九年一二月に終了した音羽山の工事、原告村久木については、昭和三三年一一月に終了した初音酉の工事、及び昭和三八年一二月に終了した音羽山の工事にかかる、それぞれの損害賠償請求権は、いずれも、時効により消滅した。

(三) 被告間組は、昭和五六年二月一六日の本件口頭弁論期日において右時効を援用した。

(四) 右時効の援用により消滅した請求権は、じん肺症が、前記のとおり、長期間の吸じんと、長期間の潜伏期を経て発症するという特異性からして、原告ら主張の損害についての「寄与の期間」として考慮し、その損害額を算定すべきである。

6  過失相殺

(一) 被告間組は、前記のように、安全配慮義務の履行としてなすべきことはなしており、また、亡福屋らは、トンネル工事の専門家として「よろけ」のことを了解していたのであるから、被告間組による安全教育のいかんにかかわらず、被告間組による安全配慮義務の履行の提供に対して、これに協力する前提は整っていた。

(二) しかるに、亡福屋らは、面倒であるとか、能率が上らない等の勝手な理由をつけて、給水設備や換気設備の操作、あるいは、防じんマスクの着用をしなかった。

(三) 右は、亡福屋らの重大な過失にあたり、損害額の算定についてしんしゃくされるべきである。

四  被告嶋田の主張

1  被告間組の主張をすべて援用する。

2  被告嶋田においても、作業員の安全、健康管理については、十分に気を配り、空掘り等しないよう注意する他、被告間組と共に安全管理に努めてきたものである。

3  亡福屋らの就労当時、じん肺についての一般人の知識、対策についての研究の遅れから、これ以上の安全対策を、実質上人夫頭にすぎない被告嶋田に期待することは無理であり、被告嶋田に損害賠償責任はない。

4  仮に、被告嶋田に責任があるとしても、被告間組の主張のとおり、亡福屋らにも過失があり、損害額の算定につきしんしゃくされるべきである。

五  被告らの主張に対する反論

1  亡福屋らについて、他の粉じん作業の寄与による因果関係の割合を認定すべきであるとの主張は争う。亡福屋らは、いずれも期間的にみて、被告ら関係工事における粉じん作業が大半を占めているし、仮に、右寄与の事実があるとしても、それは被告らにおいて主張、立証すべきことである。

2  じん肺法上、防じん対策について労働者の負う義務の程度、内容は争う。同法上の労働者の義務は、使用者において十分なじん肺教育を行っていることを前提としなければならないというべきである。

3  安全配慮義務の内容及び程度の軽減の主張を争う。

(一) 被告間組における坑夫の雇用体制は、景気変動や企業経営の効率化等の理由により、多種多様の労働者を常時雇用することが困難であるという。企業側の便宜から採用されているにすぎないもので、実際には、下請人たる被告嶋田の雇用する労働者を、被告間組の企業秩序に組み入れ、被告間組の管理する就労場所において、被告間組の管理する機械設備を利用させる等して仕事を完成させ、当該労働者を直接雇用するのと同様の効果をねらった就業形態である。従って、そこにおける被告間組の安全配慮義務は、坑夫らを直接雇用した場合に比して何ら軽減されるものではない。

(二) また、安全教育は、じん肺症の恐ろしさや内容を、労働者に周知徹底させることを目的とするものであって、単に、坑夫らが、そのような病気があることを知っていたというだけで、使用者の安全教育の義務が軽減されるものではない。

4  被告間組の、粉じん対策の実行の主張を争う。被告間組の主張する粉じん対策は、作業進行のための対策にすぎず、健康被害をくい止めるために十分であったとはいえないし、健康管理体制も、じん肺患者を早期に発見し、把握するには不十分であった。

5  消滅時効の援用についても争う。雇用契約終了時を消滅時効の時効期間の起算点とすることは、具体的妥当性を欠き失当である。雇用契約上の安全配慮請求権は、その具体的な不履行、例えば事故の発生があって、初めて具体的な請求権としてこれを行使することが可能となる性質のものであるところ、じん肺症については、その発症までに長期の潜伏期間のあることからして、具体的な事故の日時を特定することができず、結局、管理区分認定を受けて、初めてその権利を行使しうるものというべきであり、かつ、これが最も具体的妥当性を有するものである。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1(一)の事実、並びに、同(二)の事実のうち、被告間組が土木建築業を営む会社であること、及び、被告嶋田が現場において「間組嶋田班」と称されていたことは、いずれも各当事者間に争いがない。

二  請求原因2(亡福屋らのじん肺罹患)の事実について

1  亡福屋関係

(一)  亡福屋が、昭和四六年一〇月二一日滋賀病院に入院したこと、昭和四七年五月一八日滋賀労働基準局長からじん肺管理区分四の決定を受けたことは、原告ミヤら三名と被告らの間で争いがない。

(二)  (証拠略)、原告ミヤ本人尋問の結果によると、以下の各事実を認めることができる。

(1) 亡福屋は、昭和四四年ごろから肺の具合が悪いとの自覚症状により藤尾診療所で受診し、じん肺初期の診断を受けて、大津市石山の岩井医師の診療を受けていたが、昭和四五年春ごろには、同医師から労働を止められるに至った。

(2) 同人の昭和三八年七月当時の胸部エックス線写真では、治癒した古い結核の病巣の跡がみられる以外、まったくの正常所見であったが、昭和四三年一二月の胸部エックス線写真では、既に両肺野に粒状影が密に分布し、両肺上野に直径一センチメートルを超える大陰影がみられた。

(3) その後、昭和四六年一〇月二一日、咳がひどくなって血痰が出、喀痰中に大量の結核菌がみられたことから、滋賀病院に入院し、昭和四七年四月四日、同病院外村医師により、じん肺の症状確認を受けて、前示のとおり管理区分の決定を受けた。当時の所見は、胸部エックス線写真像第四型(じん肺による大陰影あり)、心肺機能中等度障害、その他のじん肺症状中等度、活動性肺結核ありであった。

2  原告村久木関係

(一)  原告村久木が、昭和四九年四月一六日滋賀病院に入院したこと、同年一〇月二二日滋賀労働基準局長からじん肺管理区分四の決定を受けたことは、同原告と被告らの間で争いがない。

(二)  (証拠略)及び原告村久木本人尋問の結果によると、以下の各事実を認めることができる。

(1) 原告村久木は、長等山の工事に従事していた昭和四五年ごろにも息苦しさを覚えることがあったが、昭和四九年四月一六日、呼吸困難のため滋賀病院に入院した。

(2) 同原告は、右同日、滋賀病院和田医師により、じん肺の症状確認を受けて、前示のとおり管理区分の決定を受けた。当時の所見は、胸部エックス線写真像第四型、心肺機能中等度障害、その他のじん肺症状中等度、活動性肺結核ありであった。

三  請求原因3(じん肺症について)の事実について

1  (証拠略)によれば、じん肺症の医学的定義は原告主張のとおりであることを認めることができる。

2  また、じん肺症が粉じんの吸入によって生じる、進行性、慢性型の疾患であること、及び、これが、肺胞に沈着した粉じんが肺組織の線維化をもたらして肺機能低下をもたらすものであることは、各当事者間に争いがない。

3  (証拠略)によると、以下の各事実を認めることができる。

(一)  人体に吸入された粉じんのうち、痰に混って喀出されることなく肺胞に達したものは、最初のうちは喰細胞に取り込まれてリンパ腺に運ばれ、そこに蓄積してリンパ腺を線維化させてその機能を失わせる。大量の吸じん、あるいはリンパ節の線維化による閉塞後の吸じんによって肺胞内に蓄積されるようになった粉じんは、肺胞壁を破壊してこれを線維化し、瘢痕状に収縮させる。これらの線維化した部分がじん肺結節といわれるが、吸じん量の増大とともにその大きさや数が増加し、互いに融合して塊状巣を形成する。じん肺結節はその部分の肺胞の体積を減少させ、また、塊状巣は、その領域の気管支や血管を狭窄、閉塞するため、他の健康な肺胞にも負担がかかり、肺気腫を生じさせる。さらに、粉じんによる刺激が、慢性気管支炎を生ぜしめ、気管支壁の平滑筋層を肥大させ、次いでこれを線維化させる。

(二)  このような変化によって、肺胞への空気の流通の障害、肺胞壁における血液のガス交換(空気中の酸素と血液中の炭酸ガスの交換)の障害、肺の血行障害があらわれ(慢性呼吸不全)、心臓の負担が増大するため心衰弱(肺性心)をおこす。そして、慢性呼吸不全が、ある要素によって急性増悪を来たして死亡する。

(三)  右の線維化は、非常に長期間にわたって進行するため、粉じん作業から離れた後にも症状が進行する。また、じん肺結節の形成、肺気腫、これらに伴う血管変化は不可逆性であって、かつ、結節等を除去することも不可能であり、ただ、気管支変化、気管支炎のみが初期において治癒させることができ、後来の肺気腫等の予防の効果がある。

(四)  また、じん肺症には、肺結核が合併することが多い。

(五)  じん肺症には、起因物質により、けい肺、石綿肺、アルミニウム肺、炭素肺等種々のものがあるが、トンネル工事のような土石の粉じんの場合には、それに含まれる非結合型けい酸に起因するけい肺がみられる。けい肺には、<1>けい酸が三〇パーセント以上も含まれている粉じんの吸入で起き、通常一〇年以上の吸じんで二〇年以上経って塊状巣の出現する「典型けい肺」、<2>けい酸分がほぼ二〇パーセント以下の粉じんの吸入によって起き、塊状巣の出現までに三〇年以上を要することの多い「非典型けい肺」、<3>一年ないし一〇年の短期間に超大量の粉じんを吸入した場合に起きる「急進けい肺」の三つがあるが、前示各書証によって認められるじん肺症の発症例(たとえば甲第二四号証)や粉じん作業従事期間とじん肺症の発症の関係についての統計数値(たとえば甲第一二号証の三図3)からすると右三者は一応の分類上の基準であって、実際の症例は、症状の進行についても、これと吸じん歴の関係についても、さまざまであるというべきである。

(六)  トンネル工事とじん肺症の関係については、

(1) トンネル工事従事者のじん肺症は、疫学的調査の結果、粉じん作業歴が長くなるにつれて、有所見率、発症率が上昇するが、他の粉じん作業従事者に比べ、従業年数が短かくても発症し、その発症、進展が速く、有所見者中の重症率が高いことが指摘されている。

(2) 医学文献等にも、従業一年半で多量のけい酸じんを吸入し、その後三年目に呼吸困難をきたし、さらにその後二年半で死亡した例をはじめとして、一〇年未満の従業による発症例、エックス線写真有所見例が報告されている。

(3) また、近年の上越新幹線のトンネル工事でも、多数のじん肺症罹患者があったことが報道されている。

等の事実がある。

四  請求原因4(亡福屋らの粉じん作業歴)の事実について

1  亡福屋関係

(一)  請求原因4(一)の事実のうち、亡福屋が同(1)ないし(4)の各作業に従事したことは、期間の点も含めて、原告ミヤら三名と被告らの間に争いがなく、同(5)ないし(9)の作業に従事したことは、期間の点を除いて右当事者間に争いがない。

(二)  そこで右の期間の点について判断するに、(証拠略)、原告ミヤ及び同村久木本人尋問の各結果、並びに弁論の全趣旨によると、以下の各事実が認められ、これに反する証拠はない。

(1) 亡福屋が初音酉の工事に従事したのは、昭和三二年八月から昭和三五年三月までであって、この間、第一初音酉(北郷トンネル)では掘削の坑夫及び斧指、第二初音酉(内海トンネル)ではトロッコの運転手をしていた。

(2) 音羽山の工事では、掘削作業は昭和三六年六月に開始され、昭和三八年一〇月に終了しているから、亡福屋が音羽山の工事に従事した期間もこれと同じというべきである。

(3) 亡福屋は、連続して逢坂山の工事と長等山の工事に従事しており、そのうち、坑内作業は、昭和四一年八月から、坑外作業であるコンプレッサー番に替った昭和四五年四月までである。

(4) 同人は、昭和四六年五月から同年一〇月まで大世話役として再び坑内に入るようになったが、当時、まだ上半と土平の掘削が進行中であった。

(5) 請求原因4(一)(7)の関西電力の工事に従事した期間は、昭和四〇年六月から同年一〇月までである。

(三)  以上の事実によれば、亡福屋の粉じん作業歴は、請求原因4(一)の(1)ないし(4)の他、同(5)(初音酉の工事)について二年七か月、同(6)(音羽山の工事)について二年四か月、同(7)(関西電力の工事)について四か月、同(8)(逢坂山及び長等山の工事)について三年八か月、同(9)(長等山の工事)について四か月の合計約一六年一一か月であり、そのうち被告ら関係工事は約八年一一か月であると認めることができる。

2  原告村久木関係

(一)  原告村久木が請求原因4(二)のとおりの粉じん作業に従事したことは、同原告と被告らの間で争いがなく、これによれば、同原告の粉じん作業歴は合計約一三年一〇か月であって、そのうち被告ら関係工事は約八年一か月であると認めることができる。

(二)  被告らは、近江大橋建設工事も粉じん作業であると主張するが、原告村久木本人尋問の結果によると、同原告は右工事にコンクリート運搬船の運転手として従事したものと認められるから、これを粉じん作業に含めることはできない。

五  請求原因五(一)並びに被告間組の主張3(一)及び(二)(トンネル工事と粉じんの発生)の各事実について

1  トンネル工事の工程中、削孔、発破、ずり出しの各作業において粉じんが発生することは当事者間に争いがない。

2  (証拠略)並びに原告村久木及び同ミヤ本人尋問の各結果によると、以下の各事実を認めることができる。

(一)  トンネルの施工法には各種のものがあるが、被告ら関係工事のような山丘トンネルでは、最初に掘削部分の底部に小断面の導坑を先行して掘削し、次いで上半を掘削してアーチコンクリート(トンネルの上半分の覆工)を完成させてから土平を掘削してトンネル全体を完成させる底設導坑先進上部半断面工法が最も多く用いられている。また、上半の掘削については、その全面を一度に掘削する工法の他、頂設をまず掘削してから、丸型を徐々に切り拡げる工法や、上半の中央部(核)を残してアーチ部分を細く掘削し、鋼製支保工を立て込むリングカット工法等があり、地山の性状や支保工の材質等により、これらの工法が選択して用いられる。さらに、地山の状態が特に悪い場合や、崩落箇所の修復に用いられる特殊工法がある。

(二)  各種工法のうち、特殊工法の一部を除いて、掘削の作業工程は、いずれも、削岩機によりダイナマイト等の火薬を入れる穴をあける削孔、火薬を爆発させて地山を崩す発破、崩れた土石(通称「ずり」)を搬出するずり出し、これによってできた空洞が崩れないよう支えを入れる支保工の立て込みの各作業からなっている。また、発破で崩れきらなかった岩を崩したり、地山が軟弱である等で発破が使えない所で岩を崩すためにピックハンマー(通称「ピック」)が用いられる。

(三)  削岩機は、六角形等の断面の鋼鉄製の細長いのみ(ロッド)を、圧縮空気によって前後に振動させると共に回転させ、岩盤に穴をあける機械である。削孔する場合、ロッドで砕かれた岩の粉(通称「くり粉」)の排出とロッドの冷却のため、ロッドの先端から穴に注水しながら削孔する湿式と、水の代わりに圧縮空気を噴出させて削孔する乾式がある。注水して削孔することを通称「水ぐり」といい、注水せずに行うことを「空ぐり」という。空ぐりの場合、くり粉は粉じんとなって飛散する。その粉じんの程度は、地山が乾いていても、湿潤で湧水、滴水があっても余りかわらない。水ぐりの場合には、くり粉は水と共に流れ出すので粉じんの飛散はないが、空ぐりよりも削孔の能率が低下することや、地山の性質によっては、孔が荒れて火薬の装填に支障をきたすという難点がある他、切羽まで一定の圧力で給水し、さらに削岩機に圧縮空気とは別のホースで接続する必要がある。削岩機の使用台数は、導坑の切羽で三、四台程度、上半の切羽で四、五台程度であり、また、一回の発破のための削孔数は、火薬の使用量によって多少があるが、音羽山の工事の比較的地山が良好とされた区間で、導坑で二五前後、上半で六〇前後であった。

(四)  発破の際には、火薬によるガス(通称「後ガス」)と共に粉じんが発生し、切羽付近全体に浮遊する。また、一般に、地山に亀裂が多く、含水量が多い等、いわゆる「悪い山」の場合には発破に用いる火薬の量は少なくなる。

(五)  ずり出しにおいても粉じんが発生するが、その程度は発破よりも小さく、また、ずりに散水することにより、その発生量を抑えることができる。

(六)  ピックを用いる場合にも少量ではあるが粉じんが発生する。

(七)  発生した粉じんは、切羽付近では圧縮空気の放出や局部送風機によって後方に流される。風管がある場合には風管から送られる空気により後方に流されたり(送気式)、風管に吸い込まれたり(排気式)して排出されるが、トンネル延長が長くなると、これを坑外に完全に排出することは困難であって、換気してもなお坑内に粉じんが浮遊することになる。

(八)  被告らは、<1>地山が水分を含んでいる場合には粉じんは発生しない。<2>地山の軟弱な時には発破を用いないか、発破の火薬の量が少ないため、粉じんが発生しないか、発生しても微量である。<3>ずり出しの際の粉じんは発破の時のそれと量的にも質的にも違うし、水分を含んでいる場合には浮遊することも少ない、と主張するので検討するに、

(1) 右<1>の主張については、被告らの主張に沿う的確な証拠はなく、かえって(人証略)の証言中には「地山の水分と削孔による粉じんの発生は余り関係がない」との部分があることや、後記のとおりの被告ら関係工事の現場の状況に照らし、右主張は採用できない。

(2) 右<2>の主張については、(証拠略)によって認められる、音羽山の工事では地山が軟弱で、ほぼ全線にわたってリングカット工法やリングカット頂設先行工法が採用されているが、本坑口付近の土被りの薄い部分と破砕帯の一部を除いて、ほとんど火薬が使用され、火薬少量とされている区間も一部に止まっている事実に照らせば、単に地山が軟弱というだけで直ちにピック掘りに切り換えられたり、火薬使用量が減らされるものではないというべきであるから、右主張も採用できない。

(3) 右<3>の主張については、発破とずり出しの粉じん発生量の違いを認めうる的確な証拠はない。確かに、(人証略)の証言及び原告村久木本人尋問の結果によると、発破の後は、後ガスと粉じんで視界が非常に悪く、圧縮空気の噴出等で換気してから作業をした事実を認めることができ、この事実と対比して、ずり出しにおける粉じん発生量が相対的に少ないであろうことは容易に推測しうるところであるし、後記のとおり散水がずり出しにおける粉じん対策とされていることからすれば、土石が当初から湿潤であればずり出しの粉じん発生量も少ないであろうと思われるが、他方、(証拠略)によって認められる、ずり出し時にも相当多量の(「許容濃度を超える」とされる)粉じんが発生している事実からすれば、これが被告ら主張のように質的な差異があるとまではいうことができないと思料される。

六  請求原因5(二)ないし(六)(被告ら関係工事における粉じんの発生)の事実について

1  初音酉の工事

(証拠略)、原告村久木及び同ミヤ本人尋問の各結果によると、以下の各事実を認めることができる。なお、(人証略)の証言中、下記認定事実に反する部分は、同証人らを除く右各証人の証言及び本人尋問の各結果に照らし採用できない。

(一)  亡福屋は、前示四(一)(1)のとおり、斧指及びトロッコの運転手として従事し、原告村久木は、第一初音酉において上半等の掘削に従事した。斧指は、支保工の部材(松丸太等)を加工して組立てる職種であるが、同時に削孔、発破等の掘削の仕事も行った。

(二)  上半の切羽は空ぐりで、風管等の設備がなかったため、切羽付近では二メートル先も見えない位に粉じんが浮遊した。

(三)  作業は昼夜二交代が多く、トンネルが長いため、食事も坑内でとる状態であり、また、防じんマスクの使用は少なく、もっぱらタオルを口に巻いて作業をした。

2  音羽山の工事

(証拠略)、原告村久木本人尋問の結果によると、以下の各事実を認めることができる。(人証略)の証言中、下記認定事実に反する部分は、同証人らを除く右各証人の証言及び本人尋問の結果に照らし採用できない。

(一)  音羽山の工事は、被告らにおいて東工区(東京方)二、四六五メートルを施工したが、工期短縮のため、本坑口から約八三五メートルのところに斜坑口を設け、本坑口と斜坑口から合計三方向に掘削を行った。斜坑口からの上半の掘削は、地山が悪いため、ほとんどの区間でリングカット工法によって行われ、破砕帯では一部ピック掘りが行われた。ピック掘り以外の区間では、すべて火薬が用いられた。

(二)  亡福屋は、最初本坑口の世話役、のち斜坑口の上半の世話役として従事し、原告村久木は、最初本坑口付近の崩落箇所の復旧作業、のち、斜坑口の大阪方の上半の掘削に従事した。

(三)  上半の切羽では、削孔は半分以上の区間で空ぐりで行われ、岩の堅い場合に水ぐりが行われた。空ぐりの場合にはくり粉の粉じんで二メートル先が見えない程であった。また、発破後に山が崩れる恐れのある場合には、切羽が清澄になるのを待たずに坑夫が切羽に行き、崩れかけている部分に矢板を掛ける作業が行われた。切羽だけでなく、後方のアーチコンクリートの打設作業の箇所でも粉じんが浮遊、降下して、コンクリートの型砕に付着した。また、坑夫らが、作業終了時に作業服に付着した粉じんを、圧縮空気を噴出させて吹き飛ばすような状態であった。

(四)  防じんマスクは一応支給されており、被告嶋田の事務所に取換用のマスクやフィルターもあったが、切羽では二、三本削孔するとマスクが詰って苦しくなる状態であって、マスクを着用することは少なく、新しいマスク等を取りに行くことも余りしなかった。

3  逢坂山の工事

(証拠略)、原告村久木及び同ミヤ本人尋問の各結果によると、以下の各事実を認めることができる。(人証略)の証言中、下記認定事実に反する部分は、同証人を除く右各証人の証言及び本人尋問の各結果に照らして採用できない。

(一)  逢坂山の工事は、東海道本線の複々線化に伴う、逢坂山トンネル休止線の補強工事と、新設トンネルの掘削工事であった。

(二)  亡福屋は、新設トンネルの上半の世話役として従事し、原告村久木は、最初休止線トンネルの補強工事、のち新設トンネルの上半の掘削に従事した。

(三)  休止線トンネルの補強工事は、ピックでトンネル壁面のれんがを落とし、コンクリートに巻きかえる作業であり、散水せずに行われたため、れんがの粉じんが発生した。

(四)  上半の切羽では空ぐりが行われ、粉じんが発生したため、作業が終わると鼻や耳の穴に粉じんが付着している状態であった。

(五)  防じんマスクについては、音羽山の工事とほぼ同様の状態であった。

4  長等山の工事

(証拠略)、原告村久木及び同ミヤ本人尋問の各結果によると、以下の各事実を認めることができる。(人証略)の証言中、下記認定事実に反する部分は、同証人の証言を除く右各証拠に照らして採用できない。

(一)  長等山トンネルは、東海道本線山科駅と湖西線西大津駅の間の延長約三、〇〇〇メートルのトンネルで、西大津駅側は複線であるが、山科駅側は東海道本線との接続の関係から、下り貨物線、下り客車線、上り客貨車線の三単線に分かれ、トンネル内で逐次合流して二単線、複線となる構造をしている。

(二)  掘削は、山科方の下り貨物線から始められ、下り客車線は、下り貨物線との合流点から坑口に向って掘削され、上り客貨車線は、坑口からと下り客貨車線との合流点からの双方から掘削された。導坑の掘削には削岩機三台、上半には五台が使用され、上半では地質に応じて、全断面、リングカット、送り矢板、縫地工法等が採用された。また、当初は山科側と西大津側の双方から掘削予定であったが、西大津側が着工できず、結果的に全線を山科側から片押しで施工した。

(三)  施工途中、寂光寺石仏の保護や、琵琶湖疏水トンネルとの立体交差のため発破の火薬量を制限した部分があり、西大津側出口付近で地質が極めて悪い部分があって、強制排水(ウエルポイント)工法により導坑が掘削された。

(四)  亡福屋は、最初坑夫の世話役として、その後、前示のとおり、コンプレッサー番を経て昭和四六年五月からは大世話役として従事し、原告村久木は、当初上り客貨車線の上半の掘削、次いで複線部分の上半の掘削、最後の約一年間はバッテリーカーの運転手として従事した。

(五)  上半の切羽では、一部分を除いて削岩機が使用され、相当の区間が空ぐりで行われ、削孔時に大量の粉じんが発生した。工事が進行してトンネルが長くなると粉じんの滞留が著しくなったため水ぐりが行われたが、換気設備が風管一本程度であったため、なお坑内に粉じんが滞留した。そのため作業が終わると耳の穴や鼻の穴に粉じんが付着している状態であった。また、ここでも音羽山の工事と同様、発破後すぐに切羽に行って矢板をかける作業が行われた。

(六)  防じんマスクはひととおり支給されていたが、取換用のマスクやフィルターの支給は余りなく、ほとんどの坑夫がマスクを着用していなかった。

5  以上の各事実からすれば、亡福屋らは、いずれも被告ら関係工事において相当多量の粉じんを吸入したものと推認することができる。

七  請求原因6及び被告間組の主張1(因果関係)について

1  本件では、被告らの安全配慮義務違反(債務不履行ないし不法行為)と亡福屋らの損害の間の因果関係に争いがあるので、右義務違反の点の判断を措いて、先に、亡福屋らの吸じんとじん肺症による損害の間の因果関係について判断するに、一般に、債務不履行あるいは不法行為による損害賠償義務は、これらと相当因果関係に立つ全損害について認められるべきものであるところ、右相当因果関係については、事実的因果関係と、債務者あるいは加害者が知り、または知りうべき事情とからこれを検討することが相当である。

2  前示各事実及び証拠により検討するに、

(一)  亡福屋は、粉じん作業従事開始後、じん肺症の症状が最初に確認された昭和四三年一二月までの約二九年間のうち、約一五年三か月にわたって粉じん作業に従事し、そのうち、被告ら関係工事は、発症の約一一年前から発症に至るまでの間、断続的に約七年三か月であり、さらにその後約一年八か月間被告ら関係工事に従事している。

(二)  原告村久木本人尋問の結果によると、同原告は長等山の工事が終わる約一年前に息苦しさを覚えてバッテリーカーの運転手にかわっている事実を認めることができるが、そのころにあたる昭和四六年一二月ごろをじん肺症の発症時期とすると、粉じん作業開始後、その時点までの約一四年間のうち約一二年四か月にわたって粉じん作業に従事し、うち、被告ら関係工事は約八年二か月であり、さらにその後約一年間被告ら関係工事に従事している。

(三)  亡福屋らは、いずれも被告ら関係工事に従事中にじん肺症を発症しているが、亡福屋においては、昭和三八年から昭和四三年の間にエックス線写真像で正常から大陰影をみるまでに症状が進行しており、原告村久木においては、粉じん作業開始後約一四年間でじん肺症状があらわれているのであって、共に、前記の急進性けい肺に近い発症を示していると思料されるところ、前示のような急進性けい肺の発症機序からして、発症前約一〇年間における粉じんの吸入が最も重大な寄与をしているというべきであり、従って、その間において、期間中に大半を占める被告ら関係工事の寄与は大きいといえる。

(四)  また、前示のような過去の症例(<証拠略>)からすると、前示の亡福屋らの被告ら関係工事の従事期間である七年三か月あるいは八年二か月は、それ自身、じん肺症を発症させるに十分な期間であるということができる。

(五)  さらに、亡福屋らの被告ら関係工事以外の粉じん作業についてみるに、原告ミヤ本人尋問の結果によると、亡福屋の従事した関西電力の工事(請求原因4(一)(7))は坑外作業であったこと、原告村久木本人尋問の結果によると、同原告の従事した名神高速道路の工事(請求原因4(二)(3))では、手にけがをしたため坑内の掘削は四ないし五か月程度で、あとは坑外の交通整理の仕事をしていたことの各事実を認めることができ、これと、前示のように被告ら関係工事においては、亡福屋らは全部の期間坑内作業に従事していたこととを対比すれば、被告ら関係工事における粉じんの吸入の寄与はより一層大きいということができる。

(六)  また、前示三3のじん肺症の機序からすると、じん肺症発症後の吸じんも、症状悪化を推進するものであるといえるが、亡福屋らは、いずれも、じん肺症発症後は被告ら関係工事以外への従事はない。

以上の各事実及び事情を認めることができ、これらからすれば、被告ら関係工事における吸じんが、亡福屋らのじん肺症発症の直接の契機をなしており、かつ、発症後の増悪に専ら寄与しているというべきであって、亡福屋らについて、被告ら関係工事における吸じんと、そのじん肺症の発症及び増悪の間に事実的因果関係があると認めることができる。

3  また、昭和三五年七月施行の旧じん肺法三条一項、七条によれば、使用者は、労働者の雇い入れ時にじん肺健康診断を行い、その際、粉じん作業についての職歴の調査を行わなければならないとされていたのであるから、亡福屋らの最終雇い入れ時(亡福屋については昭和四一年八月、原告村久木については昭和四四年六月)には、

(一)  直接の使用者である被告嶋田は、被告ら関係工事以外の亡福屋らの粉じん作業歴についても、これを認識し、あるいは認識することができたというべきであるし、

(二)  (証拠略)及び弁論の全趣旨によると、被告間組は、被告嶋田の労働者を含め、被告ら関係工事における労働者の健康診断の実施主体であったことを認めることができ、これによれば、被告間組もまた、亡福屋らの粉じん作業歴を認識し、あるいは認識することができたというべきである。

そして、前示のとおりのじん肺症の医学的知見に照らすと、被告らにおいて亡福屋らの粉じん作業歴を認識していたならば、亡福屋らのじん肺症の発症及び増悪は予見可能であったということができる。

4  以上によれば、亡福屋らのじん肺症による損害は、すべて被告ら関係工事における吸じんと相当因果関係があると認めるのが相当である。

5  確かに、前示の亡福屋らの粉じん作業歴からすると、被告ら主張のように、被告ら関係工事以外の粉じん作業における吸じんが、亡福屋らのじん肺症の発症に何らかの影響を与えていることは否定し難いところである。しかしながら、亡福屋らについては、前示のとおり、被告ら関係工事における吸じんとじん肺症の発症の間の事実的因果関係があり、かつ、被告らにおいてこれに寄与した事情である亡福屋らの粉じん作業歴を認識しうべきであったから、その点において、それ自体としては損害を惹起しない多数の原因が競合して作用した場合や、認識しえない事情が寄与した場合と異なり、被告らに亡福屋らのすべての損害について、その賠償責任を負わせたとしても、不公平、不合理ということはできない。

従って、被告らの寄与分による減額の主張は採用しない。

八  請求原因7並びに被告間組の主張3及び4(安全配慮義務)について

1  安全配慮義務の存在

(一)  一般に、雇傭契約上の使用者は、信義則上、当該契約にもとづく付随的債務として、被用者に対し、その労務提供のために設置した場所、施設もしくは器具等の設置管理、または、被用者が提供する労務の管理にあたって、被用者の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っていると解すべきである。

(二)  亡福屋らが被告嶋田の従業員であった事実は当事者間に争いがないから、亡福屋らの使用者であった被告嶋田は、右安全配慮義務を負っていたと認めることができる。

なお、同被告は、自己は、実質上人夫頭にすぎない旨主張するところ、後記(四)説示の各事実からすると、確かに亡福屋ら坑夫の労務提供については被告間組の支配が強く及んでいたといえるけれども、他方で、被告嶋田も大世話役、世話役という自身の指揮、命令体制を有する等、請負人としての独立性を有しているとみられる面もあり、かつ、雇用契約上の使用者の負う安全配慮義務は、基本的、包括的なものと解するべきであるから、右のような事情の下では被告嶋田の負う安全配慮義務が免除され、あるいは軽滅されるということはできない。

(三)  ところで、安全配慮義務は、形式的には雇用契約上の付随義務であるが、その実質においては、ある者の労務の提供を管理、支配し、また、その労務提供のための場所、施設等を設置、管理する権能を有する者が、その権能の行使、すなわち、労務の提供の受領あるいは労務提供の場所等の設置、管理等を行うにあたって、信義則上尽すべき義務であるということができるから、雇用契約だけでなく、社会生活上の一定の法律関係にもとづいて、ある者が他の者に対して右のような権能を有している場合には、その実態に即して、その者が安全配慮義務を負うと解される場合があるというべきである。

(四)  これを被告間組についてみるに、(証拠略)、原告村久木本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると以下の各事実を認めることができる。

(1) 被告ら関係工事は、いずれも被告間組が国鉄から請負い、これを被告嶋田に下請け施行させたものであって、被告嶋田は、間組嶋田班の名称で被告間組の各工事現場でトンネル掘削工事に従事した。

(2) 亡福屋らは、被告嶋田や友人から声をかけられる等して工事現場に集まり、被告嶋田との間で雇い入れの手続きをして同被告に雇われ、現場での作業に従事した。工事終了と共に被告嶋田との雇用関係も終了するが、工事終了前でも自由にやめることができ、やめる時には、被告嶋田から離職票が渡された。この雇い入れや離職の手続きには被告間組は関与しない。

(3) 現場での作業は、切羽等の個別の作業現場ごとに、世話役を中心とする五、六名ないし一〇名位のグループに分かれて行われ、これらのグループの上に大世話役がおかれる。大世話役は、被告間組との間で作業工程等の打合わせをして、それに従って全般的な仕事の段取りをし、各切羽等を回って安全管理、技術指導等をする。また、世話役は、グループの長として坑夫らを指揮すると共に、自らも掘削等の作業に従事し、同時に火薬の管理や安全管理の段取りをする。大世話役と世話役は被告嶋田の従業員である。

(4) 被告間組は、各工事の現場に現場事務所を置いていたが、新逢坂山建設所の場合には、所長以下二〇名程度の職員がいた。被告間組の職員は、土木係等の工事の担当者でも、掘削等の作業には従事せず、もっぱら工程の管理、出来高、品質の管理、原価管理、安全管理等の仕事を担当しており、具体的には、坑内を巡視したり測量したりして、その結果にもとづいて、毎日被告嶋田や大世話役と打合わせをし、作業についての指示を与えていた。また、工事に必要な資材については、削岩機とその部分品、送風機、ポンプ、モーター、電気設備等、極めて多数の物品について被告間組の計算において購入したり他の店所から移し換えて、これらを被告間組の資産として管理し、原価計算の基礎としていた。

(5) 坑夫の就業体制は、主に二交代、時に三交代で、月二回程度の公休日(全部の作業を行わない日)があった。賃金の計算方法は、常備(作業の進行量にかかわらず一日当り定額を支払う。)、切投げ(一日の作業の進行量と賃金を決めて支払うもので、決められた進行量を達成すれば作業を打切る。)、受取り(出来高払い)の三種があり、湧水等が激しくて掘削が進行しない場合は常備、地山の状態が良くて掘削が進行する場合には切投げや受取りというように使い分けられていたが、その決定は、被告間組と大世話役との打合わせにおいてなされていた。

(6) 通常の場合、作業の進行等については、被告間組からは、もっぱら右打合わせ等を通じて大世話役に指示がなされるに止まり、被告間組職員が、世話役以下の被告嶋田の従業員に直接指示を与えることはなかった。

(7) しかし、給気管、給水管、電気設備等、坑内の作業用諸設備については、被告間組が前記のように資産として管理するばかりでなく、被告間組職員が自らその設備(ママ)を行い、あるいは被告嶋田ら下請人の従業員である坑夫らを指揮して、設備の設置、変更を行っていた。また、前示公休日を利用して、被告間組職員が坑内の長い距離の測量をしたり、導坑部分にある給気管、給水管をアーチコンクリートの完成した部分ではアーチコンクリートの部分に付け替える作業をしていた。

(8) また、防じんマスクは被告間組が購入して被告嶋田に渡し、被告嶋田を通じて坑夫らに支給されており、坑夫らの健康診断は、被告間組現場事務所の労務係の担当で、同係が検診車の出張を依頼する等して実施し、その費用も被告間組が負担していた。

(五)  右各事実からすると、被告間組と被告嶋田の関係は請負契約であり、被告嶋田と亡福屋らの関係は雇傭契約であって、被告間組と亡福屋らの間に直接の契約関係はなく、また、作業進行上の指示も大世話役を通じて間接的になされ、被告嶋田において大世話役、世話役という指揮、命令体制を有していたものではあるが、他面、作業の進行については、被告間組が測量、巡視等により常に把握、管理しており、作業現場の物的諸施設もほとんどが被告間組によって設置、管理されていたということができる。従って、これらを全体としてみると、被告嶋田は、被告間組に対する関係における請負人としての独立性、独自性においても、その従業員及び作業の進行に対する支配、監督の独立性においても、被告間組によって制限される面が多分にあり、実態としては、亡福屋ら坑夫は、もっぱら被告間組の支配する就業場所において被告間組のために労働力や技術を提供していたものとみることができ、被告らと坑夫の関係は、実質上、元請、下請、下請人の従業員の関係というよりは、一個の企業内における企業主、管理者、従業員の関係に近い面があると考えられる。特に本件との関係では、後記の安全配慮義務の内容に関係する、給水管や風管の設置、防じんマスクの購入、健康診断等は、もっぱら被告間組が行っていたことであって、その点において、被告間組は坑夫らとの関係では、より直接の使用者に近い立場にあったといわなければならない。

(六)  以上のような被告ら相互及び被告らと坑夫らとの立場、関係、とりわけ被告間組が現場の物的諸施設に対する管理権を有していたこと、及び、安全配慮義務にかかる諸施策を自ら実行していたことからすれば、被告間組と被告嶋田との間の請負契約において、被告間組が、被告嶋田が亡福屋らに対して雇傭契約上負っていた安全配慮義務を重畳的に引き受ける旨の黙示の合意があったと解することが、当事者の合理的な意思にもっとも合致するというべきである。

(七)  よって、本件においては、被告間組も、亡福屋らに対し被告嶋田が負っていたのと同一の安全配慮義務を負っていたものと認めることができる。

2  安全配慮義務の内容

(一)  前示五2の各事実からすると、トンネル工事における粉じん対策としては、粉じんの発生を抑制するものとして、水ぐりとずりに対する散水があり、発生した粉じんを排除するものとして風管等による換気があるということができ、また、(証拠略)及び弁論の全趣旨によると、防じんマスクの着用が粉じんの吸入防止に効果的であることを認めることができる他、作業方法の工夫や労働時間の短縮による粉じん暴露時間の短縮も、条理上当然に考えられる対策であって、これらはいずれも使用者の安全配慮義務の内容をなすものと認めることができる。

(二)  前示三3のとおり、じん肺症の症状の大半が進行性、不可逆性で治療方法がないこと、ただ気管支炎のみが早期において治療の効果があることからすると、じん肺症の罹患者を早期に発見して健康管理を行い、場合により粉じん作業から転換させる等の対策をとることが、じん肺症の重症化防止の方策ということができるところ、昭和三〇年施行の「けい肺等特別保護法」以来現行「じん肺法」に至るまで、使用者が健康診断を行い、その結果により管理区分を決定する旨の規定がおかれていることをもあわせ考えれば、粉じん作業従事者に対して健康診断を行い、その結果により必要な措置を講ずることも、使用者の負う安全配慮義務の内容をなすものというべきである。

(三)  さらに、(人証略)の各証言及び原告村久木本人尋問の結果中には、いずれも、粉じんの有害性やじん肺症について明確な認識がなかった旨を述べる部分があること、(証拠略)にも、粉じん作業従事者のじん肺に対する認識の低さが指摘されており、これは粉じん作業従事者の一般的傾向であったと推認されること、防じんマスクの着用等、前示の粉じん対策の中には労働者側の協力を要するものがあること、旧じん肺法六条及び現行じん肺法六条の各規定、その他前示のようなじん肺症の病態の深刻さ等からすれば、労働者に対して粉じんの有害性や粉じん対策についての教育、指導をなすことも、使用者の負う安全配慮義務に含まれるといわなければならない。

(四)  被告らは、安全配慮義務の内容及び程度について争うので、この点につき検討する。

(1) 被告間組は、「けい肺等特別保護法から現行じん肺法に至るまで、法の規定はもっぱら健康診断と補償にかかるもので、具体的なじん肺の予防(粉じん発生の抑制)の措置は、昭和五四年制定の粉じん障害防止規則によって初めて定められたものであって、このことは坑内での粉じん対策の困難性、特異性を示すものである」と主張する(被告間組の主張2)。しかしながら、右規則は、トンネル工事に関しては、水ぐり(四条一欄)、散水(四条二欄)、換気(六条)、呼吸用保護具の使用(二七条)を規定しているにすぎず、(人証略)によれば、これらはいずれも遅くとも昭和三〇年ごろには実施可能な対策であったと認めることができるから、少なくともトンネル工事に関する限り、右規則は従来からの対策を明文化した程度にすぎず、その制定が遅いことをもって、トンネル工事における粉じん対策が困難であるとか特異性があるということはできず、被告間組の主張は採用できない。

ただし、(証拠略)によれば、風管の抵抗のため送風機一台では二〇〇メートル程度の送風が限度であること、特にトンネルが長くなると換気の方式に種々の問題があり、有効適切な換気方法を採ることには容易ならざる面があること、近時の青函トンネルや上越新幹線トンネルの工事でも、粉じんの浮遊やじん肺罹患者があること、の各事実を認めることができ、これらの事実によると、トンネル掘削工事において粉じんの発生、浮遊を完全に抑制するような粉じん対策は困難な面があることは否定できないといえるが、前示のように、粉じんに対する安全配慮義務の内容は、風管の設置だけでなく、多様な内容を有するものであることからすれば、右の困難さから直ちに安全配慮義務の内容が軽減されるものではなく、他の諸策をも勘案して、全体的、総合的に考察されなければならないというべきである。

(2) 次に、被告間組は、トンネル工事は、予測し難い地山の状況に応じて、その都度、作業方法、工程を変更しなければならないから、予めそれに対応した粉じん対策を行うことは困難であると主張する(被告間組の主張3(一)ないし(三))ところ、確かに、(証拠略)によれば、トンネルの掘削中には、地山の岩盤の硬軟の変化や大量の湧水があったり破砕帯に遭遇する等、その状況がいろいろに変化すること、及び地山の状況に応じて各種の工法が採用されることを認めることができる。しかしながら、これを粉じん対策の面からみると、これらの工法のいかんによって粉じん対策が異なることを認めうる証拠はなく、前示の水ぐり、散水、防じんマスクの着用等の対策は、工法のいかんにかかわらず実施しうるものと考えられること、前示五2の事実からすると、地山の状況と粉じんの関係は、山が悪い、すなわち地山の水分が多かったり軟弱な場合には、火薬の使用量が少なかったり、ずりが湿潤なため、山が良い、すなわち地山が堅く水分が少ない場合よりも粉じんの発生が減少するという比較的単純なものにすぎないと認められることからすれば、被告間組主張のように、地山の状況が予測し難いこと、特に地山の状況が悪い場合がありうることをもって、粉じん対策の計画、実行が困難であるということはできないというべきである。

(3) 被告間組は、坑夫らが特殊な技能を有する技術者で、大世話役、世話役をリーダーとする集団で作業に従事し、被告間組は、被告嶋田や大世話役を通じて坑夫らを間接的に指揮監督するにすぎず、その指揮監督の程度が極めて弱いこと、及び、坑夫らと被告嶋田の関係も自由に離職しうる薄い関係にすぎないから、安全配慮義務の履行についても、坑夫らの受領行為を要するものは、その設備等をしてその使用等について大世話役等に指示すれば足りる旨主張する(被告間組の主張3(四)、(五))ところ、確かに、前示1(四)(2)ないし(6)のとおり、被告間組の主張に沿う事実を認めることができるが、反面、前示1(四)(4)、(7)、(8)のとおり、安全管理や、坑内の諸設備の管理、坑夫らの健康管理は被告間組が主体となって行っていたこと、及び、前示(1)説示のように、使用者の安全配慮義務は全体的、総合的に捉えられなければならないことからすれば、例えば水ぐりの励行や防じんマスクの着用についても、単に水ぐりの設備をしたり、防じんマスクを支給したりすれば足りるというものではなく、じん肺に関する教育や労働体制をも含めて安全配慮義務の履行の程度を判断する必要があるというべきである。

(4) また、被告間組は、坑夫らは「よろけ」のことを知っていたから、じん肺症は知られた危険であって、坑夫らに対し、あらためてその有害性等の教育を行う必要はないと主張し(被告間組の主張3(六))、確かに(証拠略)によれば、「よろけ」が坑夫の間で職業病として古くから知られていたことを認めることができるが、それにもかかわらず、前示(三)のとおり、一般に粉じん作業従事者のじん肺症に対する認識が低かったこともまた事実であるから、「よろけ」が周知であるからといって、被告らの坑夫らに対するじん肺に関する教育指導の義務がなくなるものとはいえず、被告間組の右主張も採用できない。

(5) 被告間組は、安全配慮義務の履行については、労働者にその受領義務がある旨主張する(被告間組の主張2)ところ、水ぐりの励行や防じんマスクの着用等は、その性質上、労働者がこれに協力しなければ達成しえない粉じん対策であることは明らかであるし、また、労働安全衛生法による改正前の労働基準法四四条、労働安全衛生法二六条、旧じん肺法五条、現行じん肺法五条等の各規定の趣旨からしても、労働者が使用者のなす安全配慮義務の履行に対して、これに協力すべきことは、行政法規上の義務に止まらず、雇用契約等の内容として、使用者と労働者の間の私法上の権利義務関係の一部をなしていると解するのが相当であるから、右被告間組の主張は一応理由がある。しかしながら、前示(3)のとおり、使用者の安全配慮義務の履行の程度について全体的、総合的な判断が要求されるのと同様に、労働者の側における右協力義務の不履行についても、他の要素との関係において全体的、総合的な判断をなす必要があるというべきである。

3  被告ら関係工事における安全配慮義務の履行

(一)  水ぐりについて

(証拠略)、原告村久木本人尋問の結果によると以下の各事実を認めることができる。

(1) 初音酉の工事では湿式削岩機が用いられ、導坑の切羽ではウォータータンクを持ち込んで水ぐりが行われたが、給水管はアーチコンクリートを打設する現場にあるコンクリートのバッチャーのところまでで、上半の切羽まで配管がなかったため、上半の切羽では水ぐりはできなかった。

(2) 音羽山の工事では、削岩機は湿式であり、給水管も導坑内を配管されていたが、水ぐりの指示はなく、また、地山が水を多量に含んでいる箇所が多く水ぐりすると削孔の能率が上がらないため、上半の切羽ではもっぱら空ぐりが行われた。掘削が進んで地山の状態がよい所では、粉じんの滞留が激しくなったこともあって水ぐりが行われた。

(3) 逢坂山の工事のうち、休止線トンネル補修工事では、給水設備はなく、ピックによる粉じん発生抑制のための散水は行われなかった。新トンネル掘削工事には、湿式削岩機が用いられ、給水管も導坑内に配管された。しかし、上半の切羽では空ぐりであった。

(4) 長等山の工事でも湿式削岩機が使用され、給水管も配管されていた。トンネルの掘削が進行して坑内が長くなると、勾配のため水圧が低下するので、途中に加圧用のタービンポンプが設置された。しかし、上半の切羽では空ぐりが行われ、坑内が長くなり、粉じんの浮遊がひどくなって、指示があって水ぐりが行われた。

前記各証人の証言及び原告村久木本人尋問の結果中、右認定事実に反する部分は、その余の関係各証拠に照らして採用できない。なお、被告間組は、音羽山の工事と長等山の工事について、ウォーターチューブを購入している事実をもって水ぐりが行われていたことの裏付けであると主張するので検討するに、(証拠略)によると、音羽山の工事では昭和三七年一月から昭和三八年五月までの間にウォーターチューブ(24L―30W)合計一三一本を購入したこと、(証拠略)によると、長等山の工事では、昭和四三年一二月から昭和四五年一月までに、ウォーターチューブ二一〇本(22D―714または322Dウォーターチューブ)、ウォーターコネクションLチューブ三〇本(F10―4102 または325D―4102)を購入したことをそれぞれ認めることができる。しかしながら、音羽山の工事における購入本数は、長等山の工事におけるそれに比して非常に少ないというべきであるから、これをもって音羽山の工事で全面的に水ぐりが行われたと認めることはできないし、長等山の工事についても、立証されたウォーターチューブ等の購入の事実は、昭和四三年五月から昭和四六年八月までの工期(<証拠略>)のごく一部の期間にすぎず、右のウォーターチューブ等がどのように消費されたかも不明であるから、これもまた前示の認定を左右するに足るものとはいえない。

(二)  換気について

(証拠略)、並びに、前記(一)記載の各証人の証言及び本人尋問の結果によると以下の各事実を認めることができる。

(1) 初音酉の工事では、導坑に五〇ないし六〇メートルの排気用風管が切羽の手前に設置され、また、第一初音酉では地山からガスが出たので、これを坑外に排出するための風管が設置されたが、上半の切羽はローカルファンが置かれた程度で風管は設置されなかった。

(2) 音羽山の工事では、風管は、斜坑底から斜坑口に向って一本ないし二本設置され、上半の切羽の後方、覆工の作業場所の手前にも風管が設置されていた他、さらに何本かの風管が設置されていた。また、ローカルファン(BW―60)も用いられた。しかし、音羽山の工事で購入された風管は、ビニール製一、三六〇メートル、鋼製約四〇〇メートルで、風管用ファンも四台(フロットマン製及びND―DF)であったことからして、風管は切羽から坑外まで連続したものではなかった。また、ファンは騒音が大きい(<証拠略>によると八〇ないし一二〇ホンと認められる。)ため、切羽近くのものは、発破後の後ガスを逃す場合に作動し、あとは停止している状態であった。

(3) 逢坂山の工事では、上半の切羽近くに風管が設置され、覆工の作業場所を越えて後方へ延ばされていた。その他にも風管が設置されていたが、いずれも坑口まで連続したものではなかった。また、新設トンネルの導坑と休止線トンネルの間に、掘削の進行に従って、順次七本の連絡坑が掘削されたので、導坑の通気は比較的良好であったが、上半の切羽は、中割が残っていて導坑とは遮断されていたので、換気状態はそれによって必ずしも良くなっていない。

(4) 長等山の工事では、当初下り貨物線の坑口にファンを置いて直径六〇〇ミリメートルの風管を接続し、坑内に送気したが、ファンの騒音で近隣から苦情が出たため、坑内から排気する方式に変更し、一五〇メートルおき位に順次ファンを置いて風管を接続した。他にセントル(アーチコンクリートの型枠)をまたぐような形で移動式の風管が設置されていた。しかし、下り客車線には風管設置はなかった。また、この他に山科方坑口から約二、七〇〇メートルのところに換気塔が設けられたが、その時期は昭和四六年一月ないし三月ごろ(導坑でウェルポイント工法が行われたところ)であり、上半の掘削も大部分が終了しており、上半の切羽の換気には余り効果がなかった。

前記各証人の証言及び原告村久木本人尋問の結果中、右認定事実に反する部分は、その余の関係各証拠に照らして採用できない。

(三)  防じんマスクについて

(1) (証拠略)、前記(一)記載の各証人の証言、原告村久木及び同ミヤ本人尋問の各結果によると、被告ら関係工事の現場では、いずれも坑夫らに対して一応防じんマスクの支給があったこと、被告間組において多数個の防じんマスクを購入していたこと、取り換え用の防じんマスクは、被告間組が購入して被告嶋田に渡し、被告嶋田の事務所に用意してあったことの各事実を認めることができる。

(2) しかしながら、前示六のとおり、いずれの現場においても防じんマスクの着用は少なく、取り換え用マスクやフィルターの利用も少なかった。確かに、(証拠略)によると、音羽山の工事において昭和三六年四月から昭和三八年三月までの間に数量の判明している分として六四〇個(<証拠略>)が購入され、他に三〇万一、八〇〇円が主に防じんマスク代(一部に他の物品を含む。)として支出されていること、(証拠略)によると、長等山の工事において昭和四三年九月から昭和四六年三月までの間に、防じんマスク四五五個、取り換え用フィルター四七三個が購入されていること、の各事実を認めることができるが、右乙第二三号証と乙第三号証を対比すると、長等山の工事で購入された分は、フィルターの交換可能なサカヰ式一〇〇七型が三三個で、交換のできない同一一七型が四二〇個であり、取り換え用フィルター四七三個はすべて右一〇〇七型用であると認められ、このことからすれば、防じんマスクのフィルターの取り換えは相当頻繁に行わなければならないというべきところ、(人証略)の証言によれば、長等山の工事では最大一五〇名程度の坑夫らがいたというのであるから、右の程度の防じんマスクの購入数量では、坑夫らに対して十分な数の取り換え用マスクが用意されていたとは到底言い難いといわなければならない。そして、このことは、(人証略)の証言によれば、最大約三〇〇名の坑夫がいたとされる音羽山の工事においても同様であったというべきである。

(四)  健康診断について

(1) (証拠略)、原告村久木及び同ミヤ本人尋問の各結果によると、初音酉の工事を除く被告ら関係工事の現場において、年二回の定期健康診断が行われていたこと及びその際には現場にレントゲン車が出張して来たことの各事実を認めることができる。初音酉の工事においては健康診断が行われていたことを認めるに足る証拠がない。

(2) しかしながら、じん肺法所定のじん肺健康診断については、(証拠略)によれば、昭和三六年一一月に音羽山の工事の現場で三一名に対してじん肺健康診断が実施されたこと、及び、昭和四五年一二月に雇用時健康診断が行われたことが認められるのみであり、それ以外に、じん肺健康診断が行われたことを認めるに足る証拠はない。なお、(人証略)の証言中、右認定事実に反する部分は、同証人の証言を除く前記各証拠に照らして採用できない。

(3) また、(人証略)の各証言、原告村久木及び同ミヤ本人尋問の各結果によると、右定期健康診断は昼間に行われるので、昼番の坑夫らは作業中、夜番の坑夫は就寝中であって、坑夫にとっては受診しづらいものであり、実際にも、右証人ら及び原告村久木は、いずれも各工事ごとにせいぜい数回しか健康診断を受けていないことを認めることができる。

(五)  じん肺教育について

被告ら関係工事の現場において、坑夫らに対し、じん肺に関する教育がなされたことを認めるに足る証拠はない。(人証略)の証言中には、坑夫らに対してじん肺に関する教育を行っていたとの部分があるが、これは、(人証略)の各証言、原告村久木本人尋問の結果、さらには、元被告嶋田の大世話役で、後に独立した(人証略)の証言中に、同人でさえもじん肺についてよく知るようになったのは昭和四〇年以降である旨の部分があることに照らして、採用できない。また、確かに、被告間組が主催して安全会議を開いていた事実は各当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、右安全会議においては所長の訓辞があったこと、これとは別に安全委員会が組織されていたこと、(人証略)が被告間組の労務係として作成した安全衛生チェックリストには、粉じん対策も項目として取上げられていること、の各事実をも認めることができ、これらの事実からすると、被告間組においては、坑夫らの安全や衛生に関心を抱いていたことを推認することはできるが、これらの事実のみをもってしては、被告らが、坑夫らに対し、じん肺に関する教育を行っていたとまでは認めるに足りない。

(六)  坑夫の就業体制について

坑夫らの就業体制は前示八(四)(5)のとおりであったが、前示六のとおり、工事によっては、地山の状況が悪く、発破後間もなく切羽に行って矢板を入れる作業をしなければならなかった他、(証拠略)、原告村久木本人尋問の結果によると、受取りの場合には、八時間の面交代(交代番の坑夫が切羽等の作業現場に来て交代することを指すと思料される。)で、その間、食事も交代でとりながらぶっ通しで働く状態であったこと、特に音羽山の工事では、工事の進行が速く、斜坑口の大阪方上半では、月進一〇〇メートルないし一五〇メートルの進行がみられ、一日三交代六サイクル(発破六回)の作業が行われていたことを認めることができ、これらの事実からすると、坑夫らは矢板入れの必要性や進行の増大のため、発破後の粉じんが十分排除されない状態でも作業を行う傾向にあったことを推認することができる。また、(人証略)の証言によれば、坑夫らは、空ぐりの方が削孔の能率が上るため空ぐりしがちであった事実を認めることができるところ、受取りの場合には特にそのような傾向にあったであろうことは容易に推察しうるところである。しかしながら、坑夫らの就業体制にもとづくこのような傾向に対し、何らかの対策が講じられたことを認めうる証拠はない。

(七)  以上の各事実にもとづいて検討するに、

(1) 水ぐりについては、それに必要な給水管の設備は、初音酉の工事を除いて一応設置されていたといえるが、水ぐりの励行については、じん肺教育や就業体制をも含めて検討すべきであって、前示(五)及び(六)の各事実をもあわせ考えれば、右をもって水ぐりの励行について必要な対策を講じたものとは認め難い。

(2) 換気設備については、音羽山の工事以後、次第に改善されてきていると認められるが、最後の長等山の工事についても、(証拠略)により認められる、直径六〇〇ミリメートルのファンの送気量は毎分四〇〇ないし五〇〇立方メートル程度であること、海外のトンネル工事では、毎分一、〇〇〇立方メートル以上、時には数万立方メートルの換気装置が用いられていること、断続式の風管設備は循環流を生じ、最も悪い換気方法であること、の各事実に照らし、また、前示のとおりの現実の粉じん浮遊状況に照らし、換気設備は十分ではなかったといわなければならない。

(3) 防じんマスクについては、取替用のマスクやフィルターの準備が不十分であったというべきであるが、特に前示六2(四)のとおり、工事によっては、防じんマスクがすぐに詰ってしまう状態であったことからすれば、そのことはなお一層明白であるといわなければならない。

(4) 健康診断についても、じん肺健康診断のみならず、定期健康診断でさえも、坑夫らにとって十分なものであったとはいえない。

(5) じん肺教育及び就業体制上の問題の改善についても、これが不十分であったことは明らかである。

4  被告らの責任

以上のとおり、被告らの安全配慮義務の履行の程度は全般的に不十分であり、その不履行があるというべきところ、被告らがこれを尽していたならば、粉じんの発生及び発生した粉じんの吸入は相当程度減少し、従って、前示七説示の諸点に照らし、亡福屋らのじん肺症罹患による損害は避けられたであろうと認めることができるから、右債務不履行と亡福屋らの損害の間には相当因果関係があるというべきである。また、前示八1(六)のとおり、被告間組は被告嶋田の安全配慮義務を重畳的に引き受けたものというべきであるから、被告らの右債務不履行にもとづく損害賠償義務も併存的債務の関係にあるものというべきである。

九  消滅時効について

1  前示八1(一)のように、安全配慮義務は、契約上の付随的債務であるから、その不履行による損害賠償請求権は一〇年の消滅時効にかかるものというべきである。また、一般に債務不履行による損害賠償義務は、本来の債務と同一性を有すると解するところ、本件の本来債務である安全配慮義務は、雇用契約の成立と同時に履行期にあり、雇用契約の存続する間、継続して給付されるべき債務であるといえるから、その不履行にもとづく損害賠償請求権の消滅時効は、雇用契約終了時から起算するとも考えられないことではない。

2  しかしながら、本件にあっては、

(一)  じん肺症は、長期間の安全配慮義務の不履行により、場合によっては雇用契約等が終了して債務不履行状態が消滅した後も、長期間の経過を経て、深刻な健康上の損害を生じさせるものであること、

(二)  安全配慮義務は、観念的には債務として捉えることができ、その履行請求権を考えることも可能であると思われるが、現実には、それが契約上の付随的債務であることもあって、損害未発生の時点においては、その債務内容を具体的に特定したり、通常の債権債務と同様に履行の請求をすることは甚だ困難であって、損害が生じて初めてその損害との関係において不履行の具体的態様を明らかにしうるにすぎないというべきこと

等の点において、通常の経済的取引関係における債務不履行と異なる特殊性があり、債務不履行制度における損害回復の観点からすれば、結局のところ、安全配慮義務の不履行による損害賠償請求権については、それが訴訟上請求しうるまでに具体化した時点、すなわち、債務者において損害を確知した時点をもってその消滅時効の起算点と解するのが相当である。

3  なお、被告間組は、各別の雇用契約の終了時を右消滅時効の起算点とすべきであると主張し、その根拠として証拠による立証の困難をいう。しかし、右主張に従えば、本件のような特殊性を有する場合には、その損害の回復について甚だ不当な結論をもたらすことは明らかであるし、証拠の散逸の点も、消滅時効制度の根拠は、むしろ長期間にわたる権利の不行使に求められるべきであるから、被告間組の右主張は採用できない。

4  ところで、じん肺症のように疾病の症状の認定が行政庁の公権的判断によってなされる場合には、それに先んじて損害を確知したものと認めうる事情のない限り、右認定の時点をもって確知したと認めるのが相当であり、前示二のとおり、亡福屋らがそれぞれじん肺管理区分四の決定を受けた日である、亡福屋については昭和四七年五月一八日、原告村久木については昭和四九年一〇月二二日をもって、亡福屋らがそれぞれ自己の損害を確知したというべきである。

5  原告らが、被告間組に対して昭和五三年三月三一日、被告嶋田に対して同年七月一二日、それぞれ本訴を提起したことは当裁判所に顕著であり、いずれも右4の日を起算日とする一〇年の消滅時効期間満了前になされたことが明らかであるから、被告らの消滅時効の主張は理由がない。

一〇  過失相殺について

1  被告らは、亡福屋らが、水ぐりを励行しなかったこと、換気設備を常時作動させなかったこと、防じんマスクを着用しなかったことをもって、過失相殺をなすべきであると主張するところ、前示のとおり、被告ら主張の点はいずれも事実であり、また、前示八2(四)(5)のとおり、使用者の行う安全配慮義務の履行に対して、労働者にその受領義務があることからすれば、右各事実は、債権者の受領義務の不履行として、過失相殺の対象となるというべきである。

2  しかしながら、本件では、前示のように、

(一)  水ぐりについては、空ぐりの方が能率が上がるため、特に受取りという賃金計算方法との関係で水ぐりが励行され難い状況にあったこと、

(二)  換気設備については、その騒音が大きいことが、それを停止させる一因であったこと、

(三)  防じんマスクについては、これが作業中にすぐに詰ってしまって息苦しくなり、また、交換用マスクやフィルターの用意が不十分であったこと、

(四)  これらを通じて、粉じんの有害性についての坑夫らの認識が欠如していたこと、

等の事情があり、これらの事情からすると、前示の受領義務の不履行は一概に亡福屋らの責に帰すべきではないと思料され、その相殺割合としては二割が相当である。

一一  損害

1  亡福屋関係

(一)  亡福屋については、前示二1の各事実の他、(証拠略)、原告ミヤ本人尋問の結果によると、以下の各事実を認めることができる。

(1) 亡福屋は、じん肺症罹患前は健康であり、トンネル掘削の他、農業等の仕事にも従事していた。

(2) 同人は、昭和四六年一〇月二一日滋賀病院入院後は、継続して入院のまま療養生活を送り、治療により肺結核は好転したが、昭和五一年にはじん肺が顕著に悪化し、昭和五二年はじめには肺気腫が増強して肺のう胞が多数出現するに至り、同年五月一五日、慢性呼吸不全の急性増悪及び肺性心により死亡した。

(3) また、同人は、入院後しばらくして自力歩行が困難になり、昭和五一年ごろは、中等度以上の呼吸困難が持続し、軽度労作でも高度の呼吸不全をおこすようになった。さらに、昭和五二年はじめ頃には、カーテンを開ける程度の軽度の労作でも息切れがし、咳や痰がひどく、酸素吸入、去痰剤や咳止め等の薬剤の投与等の治療により、呼吸困難に陥ることを免れている状態であった。

(4) 同人の入院中は、妻のミヤが泊り込みで看病した。

(二)  逸失利益

(1) 右各事実によれば、亡福屋は、入院後遅くともじん肺の症状確認を受けた昭和四七年四月四日までにはその労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認めることができ、また、同人は、満六八歳に達するまで就労可能であったというべきである。

(2) ところで、(人証略)の証言及び弁論の全趣旨によると、トンネル工事従事者の賃金については、昭和五四年当時、坑夫で月額四五万円ないし五〇万円であり、相当の高賃金を得ていたことを認めることができ、このことは従前も同様であったと推認することができるが、他方、(人証略)、原告村久木及び同ミヤ本人尋問の各結果によると、トンネル工事従事者であっても、職種により賃金が異なり、特にコンプレッサー番等の坑外の仕事は賃金が安いこと、工事が終了すれば、次の工事までの間は失業保険を受給していることの各事実をも認めうるところであって、これらの各事実に、坑夫は激しい肉体労働であり、高令での就労は困難というべきことをもあわせ考えれば、亡福屋の逸失利益については、坑夫の収入を基礎にしてこれを算定することよりも、むしろ、労働者の平均的賃金額をもって算定する方がより妥当であるというべきである。

(3) そこで、(証拠略)によって認められる男子労働者産業計、企業規模計、学歴計、年令別による一年間の現金給与額を基礎とし、亡福屋死亡後は、その生活費として三〇パーセントを控除し、さらに、新ホフマン係数により、昭和四七年四月四日を基準とした中間利息を控除して計算すると、別表1亡福屋欄及び別表2のとおりの計算により、亡福屋にかかる逸失利益は、原告ミヤら三名主張のとおり、二、七八六万六、九四九円と認めることができる。

(三)  慰謝料

前示のとおり、亡福屋がじん肺症罹患後、長期にわたる入院療養生活を送り、呼吸困難等の症状に苦しみながら死亡したことからすれば、同人の精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料としては、一、五〇〇万円が相当である。

(四)  過失相殺、損益相殺

前記一〇説示のところに従い、亡福屋の逸失利益と慰謝料の合計額四、二八六万六、九四九円に対して二割の過失相殺をなすと、亡福屋の損害額は三、四二九万三、五五九円となる。また、同人が生前、労災休業補償給付等として七九七万六、八九四円の給付を受けていることは、原告ミヤら三名が自ら認めるところであり、これは右損害額から控除されるべきであるから、同人の死亡時に未填補の損害は、二、六三一万六、六六五円となる。

(五)  相続

原告ミヤら三名が亡福屋の相続人であることは、原告ミヤら三名と被告らの間で争いがないから、亡福屋の死亡により原告ミヤら三名が法定相続分により各三分の一の割合で右損害にかかる賠償請求権を相続したことを認めることができる。

(六)  弁護士費用

原告ミヤら三名が本訴の提起にあたって弁護士を委任していることは当裁判所に顕著であるところ、本件事案の性質等からすれば、被告らの債務不履行と相当因果関係にある弁護士費用は、原告ミヤら三名について各五〇万円と認めるのが相当である。

(七)  よって、原告ミヤら三名は、それぞれ、被告らに対し、九二七万二、二二一円の損害賠償請求権を有するが、原告ミヤは、遺族補償年金等として既に一、三九四万八、〇六五円の給付を受けていることを自ら認めているので、同原告の有する損害賠償請求権については右により填補されたものというべきである。

2  原告村久木関係

(一)  原告村久木については、前示二2の各事実の他、(証拠略)、原告村久木本人尋問の結果によると、以下の各事実を認めることができる。

(1) 原告村久木は、じん肺症罹患前は健康であり、トンネル掘削の他、農業や山仕事に従事していた。

(2) 同人は、昭和四九年四月一六日滋賀病院入院後、今日まで療養生活を送っており、その間、急性気管支炎を併発する等して現在まで九回の入退院をくり返している。昭和五五年ごろの症状は、刺激性咳嗽、喀痰、喘鳴の自覚症状があり、常時、労作、歩行による呼吸困難を訴える一方、夜間にもしばしば発作的に喘鳴と呼吸困難をきたしていた。その後、昭和五八年ごろには、結核菌は検出されなくなったものの、じん肺の所見は徐々に進行、悪化して、現在では極めて重症となり、強力な薬剤の投与により炎症を抑制している状態にある。

(3) また、近時は、月に五、六回呼吸困難の発作があり、五〇ないし一〇〇メートルの歩行でも息苦しさを覚えるような状況にある。

(4) 同原告は、昭和五一年八月一九日、呼吸器機能障害(心肺機能不全)、肢体不自由(左下腿切断)により身体障害者等級表の一級として身体障害者手帳の交付を受けた。

(二)  逸失利益

(1) 右各事実によれば、原告村久木は、遅くともじん肺の症状確認を受けた昭和四九年四月一六日までには、その労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認めることができ、また、同原告は、満六八歳に達するまで就労可能であったというべきである。

(2) また同原告についても、その逸失利益は亡福屋の場合と同様に、労働者の平均賃金を基礎にして算定するのが妥当である。

(3) そこで、(証拠略)によって認められる男子労働者産業計、企業規模計、学歴計、年令別による一年間の現金給与額を基礎とし、新ホフマン係数により昭和四九年四月一六日を基準とした中間利息を控除して計算すると、別表1原告村久木欄及び別表3のとおりの計算により、原告村久木の逸失利益は、同原告主張のとおり、五、三〇四万三、二三八円と認めることができる。

(三)  慰謝料

前示のとおり、原告村久木がじん肺症罹患後、長期間の療養生活を送っており、現在なおその症状に苦しめられていることからすれば、同人の精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料としては、一、〇〇〇万円が相当である。

(四)  過失相殺、損益相殺

前記一〇説示のところに従い、原告村久木の逸失利益と慰謝料の合計額六、三〇四万三、二三八円に対して二割の過失相殺をなすと、同原告の損害額は五、〇四三万四、五九〇円となる。また、同原告が、労災休業補償給付等として二、一〇八万七、七三二円の給付を受けていることは、同原告が自ら認めるところであり、これは右損害額から控除されるべきであるから、同原告の未填補の損害は、二、九三四万六、八五八円となる。

(五)  弁護士費用

原告村久木が本訴の提起にあたって弁護士を委任していることは、当裁判所に顕著であるところ、本件事案の性質等からすれば、被告らの債務不履行と相当因果関係にある弁護士費用は一五〇万円と認めるのが相当である。

(六)  よって、原告村久木は、被告らに対し、三、〇八四万六、八五八円の損害賠償請求権を有することになる。

一二  結論

以上によれば、原告雅則、同冨美子、同村久木の請求は、被告らに対し、原告雅則及び冨美子については各金九二七万二、二二一円、原告村久木については金三、〇八四万六、八五八円の債務不履行にもとづく損害賠償金及び被告らに対する各訴状送達の翌日である、被告嶋田については昭和五三年四月二一日から、被告間組については同年七月二五日からそれぞれ支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、右原告らのその余の請求及び原告ミヤの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西池季彦 裁判官 新井慶有 裁判官松本清隆は転任のため署名押印できない。裁判長裁判官 西池季彦)

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